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「90年、№171 1月 ポーランドGAL 銀座のクラブ アヤコージのホステス 逗子でやる ウソが多かった」

「91年、№175 9月 名前 パトリシア 銀座のクラブ アヤコージのホステス……」

「№176 9月 名前 ウーノ アイルランド人 これもアヤコージのホステス。パトリシアが木曜日 ウーノが日曜日 逗子でやる」

 1973年には、「№26 7月 春本カズミ(仮名) クロロホルム睡眠薬飲ませFuckした」とクロロホルムを使った強姦の様子が、初めて出てくる。

15名にクロロホルムを使用

 1994年10月の欄には「№198 ゆみ 詩織 順のホステス CROROでやる。CROROを多用したので心配したが、2、3日で回復。CROROを多く使用しないように。だが、KARITAの場合、やはり、病院の薬が原因だと思う。本人が病院、医者を望んだがやはり医者を呼ぶべきではなかった」

 こうした記述から、少なくとも1970年から95年の間に、カリタを含む15名にクロロホルムを使用していたことが推測できた。

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 さらに「CROを使用、多くは使うべきではなかった。CROROを多く使用しないように」とも書いてあり、織原はクロロホルムを使いすぎると、生命に危険が及ぶことを認識していたとも考えられる。カリタが「不審な死に方」をしたのも、クロロホルムのせいではないのか。そしてルーシーも……。

※写真はイメージです ©iStock.com

 阿部のこうした危惧は、数々のビデオテープやネガフィルム、能率手帳、大学ノートなどに加え、同時進行で進められていたカセットテープの解析で、不幸にも的中していくことになる。

カセットテープ録音された会話

 テープに録音された会話は、そのほとんどが英語によるものだったが、阿部の手元には通訳チームが翻訳してくれた文面があった。

「平成4年2月29日 土曜日 午前8時40分 ウツミ(仮名)へ電話」

 日付などは織原自身が吹き込んだものだ。織原は「ニシダ」と名乗っている。

 電話の相手はサマンサという名の女性だ。

 サマンサが織原を問い詰めている。

「あなたがカリタを鎌倉へ連れて行ったんでしょ?」

 これに答えて織原は、

「私が秀島病院なんかに連れて行かなきゃよかったんだ」

 と言い、会話はやがて、カリタの遺体をどこへ運ぶのかといった話題に移っていく。

 鎌倉が、なんらかのキーワードになっていることは十分に想像できたが、現段階ではよくわからない。阿部は翻訳文の続きを読んだ。

遺体の処置方法への関心

 織原がサマンサにく。

「カリタの生命維持装置を外したあと、遺体はそのままオーストラリアまで運ぶのか、それとも日本国内で火葬にするのか」

 織原の関心が遺体の処置方法にまで及んでいる理由は、別のカセットテープに録音されていた内容で少しずつわかってくる。

 押収されたカセットテープは、このほかにも4本あった。