2000年、六本木で働いていた英国人女性ルーシー・ブラックマンさん(21歳、死亡当時)が行方不明に。神奈川県三浦市内の洞窟で発見された遺体は、陵辱の末にバラバラに切断されていた。

 捜査一課による執念の追跡によって、会社役員・織原城二(逮捕当時48歳)が真犯人であることが判明。織原はオーストラリア人女性カリタ・リジウェイさん(21歳、死亡当時)をも殺害したとみられ、それを糸口にルーシーさん殺害事件の真相を究明しようとするのだが――。

 ここでは刑事たちが事件の真相を語った『刑事たちの挽歌〈増補改訂版〉』(髙尾昌司 著、文春文庫)を一部を抜粋・再編集して紹介する。(全2回の2回目/前編を読む

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 新妻管理官、丸山管理官のもとで行われていたビデオテープの分析で、事態はさらに深刻さを増した。

 1992年(平成4年)2月15日の日付が記されたビデオテープに映っていた女性の身元が割れたため、丸山管理官が在日オーストラリア大使館の協力を得て、すぐに連絡を取ったところ、電話に出た母親が、

「娘は日本で不審な死に方をしている」

 と答えたからだ。

 娘の名前はカリタ・シモン・リジウェイ。この名義のパスポートがビデオに映し込まれ、さらに玉川田園調布の織原宅から押収した物には、外国人登録証明書のコピーが含まれていた。

大量のネガフィルムを現像すると…

 また、撮影済みと思われる大量のネガフィルムを現像してみると、意識を失って横たわっている全裸の女性たちが浮かび上がり、カリタ自身の姿もその中にあった。

カリタ・リジウェイさんの写真を見せる家族 ©時事通信社

 証拠調べが進むほど被害者が増えていく現状に、裏付け捜査担当の阿部管理官も唖然となり、1日に吸うタバコの本数も増えていった。

 織原所有の元赤坂のマンションからは、1992年の能率手帳とバインダー式ノートが押収されており、能率手帳には、「ブドウキュウキン」「ゲキショウカンエン」「ソーギヤ」「東京女子医大」、あるいは「KARITA」(原文ママ)など、英文での記述もかなり見受けられた。

 その中でも、阿部管理官は能率手帳の2月のページ、29日の欄に注目した。6時45分を示すと思われる「6・45」という記述に加えて「没」の文字が記されている。

「ソーギヤ」という記述も気になった。何しろ、カリタは「日本で不審な死に方をしている」のだ。

 手帳には「秀島病院」と書かれた紙片が挟まっており、同名の病院が平成4年2月17日に発行したと見られる「金5万円」の預り証も押収品の中にあった。預り証の宛名は「リグウェイ・カリタ」。カタカナ表記なので完全なる一致とまでは言えないが、もちろん無関係ではあるまい。

※写真はイメージです ©iStock.com

女性遍歴を綴ったノート

 能率手帳とは別に、ノートにもカリタの名前は見受けられたが、このノートはもっぱら織原が女性遍歴を書き綴ったものだった。

「女、セックス……それは男。少なくても自分にとって非常に重要な意味を持っている。目標、30歳までに少なくとも、500人の女とセックスをすること。このノートは、女友達の記録である」

 と銘打たれ、1970年(昭和45年)以降、織原が性的関係を持った209名に上る女性との出会いや、性的行為に至るまでの経緯が、こと細かく書かれていた。

 性的関係を持った女性は国別に記され、オーストラリア人女性だけでも4人に上る。

 織原は当時銀座にあった高級クラブ「綾小路」に足繁く通い、そのクラブのホステスを口説いていたようだ。