「まず1つ目は眠りたいということ、2つ目は、まだ時々吐き気がするんで、それを止めたいということ、3つ目は腹痛がするので何とかしてほしいと言っていた」
この時点では、あくまで「ニシダ」を名乗っている織原の説明によれば、カリタとは平成4年2月14日の夜に銀座の喫茶店で待ち合わせ、その後、カリタの要望通り鎌倉へ連れて行ったが、胃が痛いと言い出したので、鎌倉まで医者を呼んだことになっている。
「(2人では)食事もしていなかったんです。2人で食事をするつもりだったけど、その前に彼女が吐いたから」
鎌倉へ呼んだ医者からは、こんな説明も受けたと話す。
「医者が言うには、メモしたんですけど、ブドウ球菌だ、ブドウ球菌」
織原がさらに続ける。
「吐くという症状が出るまでには、医者は1日以上はかかる、と言うんです」
この説明に対して、サンタはこう応じている。
「彼女は金曜日の夜にチョコレートをたくさん食べた。金曜日の晩、彼女がクラブに出かける前に、彼女と一緒だったんだけど……」
この会話が交わされたのは、織原が内海直人から「カリタの肝機能低下は薬物によるもの」という話を聞く前だ。つまり、まだ言い逃れができると踏んでいたのかもしれない。
カリタさんの母親との電話
織原は同じ日付の11時35分、カリタの入院を知って来日した母親のアネットにも電話で同じような話をしている。
「約1週間前の土曜日の晩に、彼女は吐いたんです。(中略)私たちは2人で食事をする予定だったんですが、食事をする前に彼女が吐いたもんで。食事をする前ですよ。ですから私たちは食事もしなかったんです。それで日曜日にですが、日曜日の朝、医者がカリタを診に来たんです。(中略)カリタは医者に注射をしてくれ、と頼んだんです。(中略)その時、彼女は病気だったけど、病状はそれほど深刻ではなかった。話をすることもできました。(中略)吐きそうになった時に走ってもいました。もちろん、歩くこともできて、走ってもいたのです」
「何が原因でこうなったんですか?」
アネットの問いに織原は、
「わからない……思い当たらないんです」
と答えながら、
「明日会えないか」
との要望には、にべもなく答えている。
「私は今、九州にいるんです。動き回っているもんで、だめです」
カリタが入院した理由はともかく、織原はオーストラリアからはるばるやって来た母親にさえ、すぐさま会おうとしない。
捜査官が感じた「被害者の無念」
内海直人から、再三に亘って要求されていた秀島病院への連絡を、織原がようやく実行したのは、カリタが鎌倉で嘔吐し、体調不良を訴えてから10日も経ってからのことだった。
しかし織原は、秀島病院にかけた電話でも、「鎌倉に来た医者」が「カリタの右腕に注射をした」と語り、座薬まで処方されたと述べた。
電話に応じた同病院の西一郎医師が、織原に告げる。
「(カリタは)助かる見込みがない」
8年前のことだとはいえ、カリタの無念さが新妻の胸にもじわりと染みてくる。
「時効はまだ成立していない。この件でもあいつを必ず挙げてやる。首を洗って待ってろよ」
新妻は心に誓った。