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渡辺和子がどうしても許せない人

 私は渡辺和子と次のようなやりとりを行った。紹介しておきたい。

保阪  テロの加害者をお許しにならないというのではなく、信仰をもとに許すというお気持ちがあるということですね。むろん全ての人を、ということではないでしょうけれど。

渡辺  そうですね。しかしどれほど信仰を高めたにしろ、許せるものと許せないものがいるということになります。

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保阪  お父上を襲った青年将校や下士官、兵士などは、まだ許せるというふうに考えてもいいということになりますか。

 私の問いに、渡辺はゆっくりと頷き、二・二六事件についての構図を語りはじめた。それは青年将校や下士官、兵士を巧みに使い、父親を殺害した陸軍の上層部の存在に注目するということでもあった。具体的には真崎甚三郎を指していた。こういう人物が青年将校を巧みに使い、このような大事件を画策したことになると断言した。それは明確な答えであった。

 そういう人物は許すことはできない、ともう一度メリハリのある口調で断言した。

 この答えに、私の疑問は一気に氷解した。二・二六事件の本質はこの証言者の言に凝縮されていたのだ。二・二六事件後の陸軍は真崎を追い払う形で、梅津美治郎、東條英機、寺内寿一らの新しい派閥が君臨を始めたのだ。このグループが陸軍内部の実権を握り、暴力の延長として軍事を政治の上位に置いて、テロの続編のような国づくりを進めたのである。

 それは昭和5年から11年2月までのテロルによって生み出された、暴力の季節の最終局面でもあった。