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 その理由をこの事件の残虐性に求めることができる。その点をもう少し書いておこう。

 殺害された鈴木貫太郎、渡辺錠太郎についても触れることにしよう。すでにその内容は知られているのだが、まずその襲撃の現場の模様と、それに対して、遺族の間には歴史的にどういう思いがあったのかを考えてみたい。

 テロはいかなる形で極私的な傷を残すのか、それを確かめるためである。

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渋谷区宇田川町にある二・二六事件慰霊像 ©AFLO

襲撃現場に居合わせた妻の記憶

 鈴木貫太郎を襲ったのは、歩兵第三連隊の安藤輝三大尉に指揮された200人余の下士官、兵士たちである。鈴木は侍従長の官邸に住んでいた。午前5時前に安藤や兵士たちが官邸を取り囲み、襲撃隊は表門と裏門から入り、護衛の3人の警官は抵抗の術もなく身体の自由を奪われている。寝室と思しき日本間に鈴木貫太郎夫妻はいた。襲撃隊は鈴木を目掛けて拳銃を発射させている。肩、臀部などを貫通する傷を負った。最初の銃撃で重傷であった。倒れた鈴木を15人ほどの兵士、下士官が囲む。さらに下士官が鈴木に銃弾を撃ち込んでいる。

 この辺りの光景は、彼らの証言や判決文などから想像していくと、極めて乱暴であると同時に鈴木が即死しなかったことが不思議だと思われるほどである。安藤がこの場に入ってきたのは、この時であった。鈴木夫人のたかに、安藤は自分たちの決起の理由を述べたという。夫人は黙して聞いていた。安藤は、鈴木がまだ息をしていることを確かめて、「止めをさせていただきます」と申し出ている。

「もうこれ以上のことはおやめください」

 とたかは言い、安藤も了解した。そして引き揚げていった。結局、鈴木は止めを刺されなかったために、死を免れた。この現代史の一コマが鈴木に歴史上の役割を与えたのである。

 もう一人、テロの犠牲になった陸軍の教育総監・渡辺錠太郎の襲撃場面にも触れておく。

 東京・杉並にある渡辺邸を襲ったのは、高橋太郎、安田優の二人の少尉に引き連れられた40人近い兵士と下士官である。彼らはトラックに乗り、軽機関銃などを積み、この邸に着いたのは午前6時ごろだったという。