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渡辺錠太郎の銃撃死を目撃した娘のその後

 これは渡辺錠太郎の娘の渡辺和子においても同様であった。

 平成26(2014)年1月のことである。私は岡山市のノートルダム清心学園の理事長室を訪ねた。インタビューのためである。当時、渡辺は87歳になっていて、そのころ刊行した『置かれた場所で咲きなさい』というエッセーがベストセラーになっていた。私のインタビューは、二・二六事件について、遺族としての感情やその気持ちを正確に確かめたいという思いからであった。午後1時から始めたインタビューは、夕方5時ごろまで続いた。

 カトリックの信者として、さらには修道女としてのその人生の背後には信仰に生きる直線的な生きざまがあった。襲撃してきた青年将校や下士官、兵士と父・錠太郎が銃撃戦を行った時、和子はその部屋でテーブルの陰に隠れて身を縮めていたのである。当時9歳であった。襲撃隊が錠太郎を殺害して寝室を出ていった時に、和子はテーブルの陰から飛び出した。血染めの父親の遺体を見た時に、悲しさよりも恐怖で体が震えるのをおさえることができなかったというのだ。その光景が人生を支配するようになった。

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 私からのインタビューは、この事件について語る最後の機会としようと考えていたのかもしれない。決して饒舌とは言えないが、それでも意外なことを数多く語ってくれた。それはテロの被害者の肉親の心からの叫びでもあった。私はその一言に落涙しそうになった。

 歴史のなかでははるか昔のことになるのだが、テロの犠牲者の肉親にとってその傷跡は常に「現在進行形」なのであった。和子とのやりとりを通じて、テロの犠牲者の肉親にはどういう傷が残るのかということを私は書きとどめておきたいのである。

 箇条書きにしておくほうがわかりやすく、かつ的確な指摘になると思う。

 1 父がテロの犠牲になったことは、私の人生を変えることになった。

 2 信仰は私の救いであり、私の支えであり、私の生きる鍵である。

 3 テロの加害者を憎しみをもって見るのではなく、許すという心境で見た。

 4 二・二六事件は複雑な構図があるにせよ正確に理解したい。

 5 加害者の側にも許せる者と許せない者がいると考えている。

 この5点が私には強く印象づけられた。和子の口ぶりは温厚であり、他者や社会に注ぐ視線は柔らかく、そして優しく映る。淡々と話す口調は信仰の思いに溢れている。しかし、ひとたび二・二六事件のテロのある断面に触れると口調は厳しくなるのである。