――棋風などご自身のスタイルについてはどうお考えですか。
山川「終盤型の将棋と自負していますが、もしかしたら周りの感じ方は違うかもしれません。最近は序盤研究にも力を入れているので、その辺りに注目してもらえればと思います。居飛車党ですが、棋士になったので、これからは良いと感じれば振り飛車も指したいですね。色々な形の知識を深めることができればと思います」
高橋「自分の棋風は正直よくわかっていません。ただ、序盤の研究をしないと棋士についていけず、研究会でもついていけません。ですから序盤の研究にはかなり力を入れました。これからは中終盤でも力を発揮できるようになればと思います」
なぜ山川を弟子に取ったのか、広瀬九段に話を聞くと…
インタビュー終了後は近くの焼き肉屋に移って、新四段を囲む祝賀会となった。多くの棋士が集まったのは両者の人徳によるものだろう。これからは棋士として戦う競争相手とはいえ、この日ばかりは笑顔で2人の前途を祝った。
両者ともに最良となった夜、高橋は周りにあおられる形で酔っ払いポーズを取るなど、ノリノリに。さらには「広瀬門下初だから、彼の方が質問されるのが多かったすよ」と冗談交じりでぼやく。インタビューで山川は広瀬門下に入った経緯について、
「通っていた将棋道場で指導対局をしてもらって、そのご縁です。入門は師匠が王位を取る前で、奨励会入会後しばらくは指導をしてもらいました。しばらくすると三段に上がるまでは自力学習で、三段になってからはVSや研究会で教わっています」
と語っていた。
後日、改めて広瀬九段に話を聞いたので紹介する。
――前節が終わってから、最終日を迎えるまでの心境はどのようなものでしたか。
「自力は残っていましたが、前節で一つでも勝っておけば全然状況が違ったのでとても心配でした。最終日前に研究会で会う機会があったので『最後の壁だね』とは言っておきました」
――今期リーグが始まって以降で、師匠としての気持ちの浮き沈みのようなものはあったのでしょうか。
「やはり昇段争いをしていないと浮き沈みのしようがないので、今期は初めてそういう経験をしましたね。好成績で折り返ししたぐらいから成績に浮き沈みするようになったかと思います」
――なぜ、弟子に取ったのかということ、及び入門当時の山川さんの印象について教えてください。
「弟子入りした理由は蒲田将棋クラブの席主さんにお願いされたのがきっかけです。その直前ぐらいに指導対局をしたこともあって実力はある程度把握していました。師匠としてはだいぶ若かったと思うので、私の師匠や兄弟子にも相談しましたが結局自分がやることになりました。山川は今もそうですが、落ち着いているという印象が強いです」