家族で過ごす最後の夜、4人で外食をした後に車で家へ向かっていると、純平くんが「ぼくの学校を通って」と、父にお願いしたという。学校に着くと「お父さん、ゆっくり走って」と。
「あたりを見渡すと、校庭も校舎も真っ暗で。周囲には住宅が並び、その窓から煌々とした明かりが漏れ出している。それを見て、ああ、絶対に子どもを取り上げられない、家庭の光がこれだけあるのにって……。何で私たちは、離れなきゃいけないんだろうって。悔しくて、悔しくて」
学校を通り過ぎて、純平くんは静かにこう言った。
「お父さん、お母さん、ありがとう」
坂本さんは帰宅後、純平くんに1本のぶどうの木とその枝を描いた紙を見せて話をした。
「この枝はお父さんとお母さん、これは妹の友紀ちゃんで、これはあなたね。どこへ行こうと、みんな、この葡萄の木のように繋がっているんだからね」
翌朝、純平くんはその絵を持って、坂本家を出た。
「今振り返っても、気の毒すぎた。彼は小さいのに全部わかって受け入れて、御礼まで言って出て行って……。友紀も大好きなお兄ちゃんが急に連れられていっただけでなく、自分もそうなるかもと不安そうでした」
それからも、純平くんは時々、施設を抜け出してはこっそり坂本家にやってきて、一言の手紙が置いてあるなど、小さい目印をつけていったので、そのたびに「純平が来ていたのかな?」と坂本さんたちは話したという。夏休みの長期外出では坂本さんたちと旅行にも行った。そして中学卒業と同時に、純平くんは施設を出た。当時、施設の子たちは中卒で働く人も多く、今のように、その先の支援などはほとんど整えられていなかった。
「最後に純平が来たときは、お給料で買ったって発泡スチロールの箱いっぱいの魚介を持ってきてくれて。私が魚介を好きと知っていたので『お母さん、食べろ』って置いて行ってね……」
あまりにも短かった17年の命
その夏、里子たちとの海外旅行から帰ってきた坂本家のFAXには、溢れんばかりの大量の紙が渦巻いていた。何事かと手繰り寄せたFAXには、信じられないことが書かれていた。