学校の先生がそんなに親身に考えてくれるなら……と従い行ったカミングアウトが致命的だったと坂本さんは語る。

「そこから、親たちからの差別、区別が一斉に始まってすごかった。直接会ったときには『あなた、偉いわね。立派なことなさって』と言っておきながら、裏では全然違うようなことを言っているのを聞く。人間って、表と裏でこんなに違うんだということを、このときに、私は初めて知ったんです」

「うちの娘があんたの子と何かあったらどうすんの?」

それからは、学校で純平くんと同級生が「遊ぼう」と約束して来ても、必ず、親から断りの電話が入るようになった。遊ぶのを楽しみに帰宅した小学生の男の子にとって、それはどれほどつらいことだったか。近所に住む専門職の母親が、突然電話をしてきて「うちの娘に近づかせないで。うちの娘があんたの子と将来、何かあったらどうすんの?」と言われたこともある。当時小学2年生のかわいい息子へのあまりの言葉に坂本さんは、言葉を失った。

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そこで、坂本さんは学校にも親にも、里親制度のことを説明し続けた。このままじゃいけないと思ったのだ。純平くんたちは、社会で育て、守っていかなければいけない子供なのだと。

「純平と妹、この子たちを守れるのは私しかいないと思って。世の中の人に、里親制度を正しく受け止めてもらおうと話し続けました。子供のせいじゃないのに、差別はおかしいだろうと。だけど当時、里親なんて本当に珍しかったからか、誰一人、聞く耳を持つ人はいなかった」

最後の夜に純平くんが言ったこと

純平くんは次第に、学校へ行けなくなっていった。児相に状況を改善するためのアドバイスを求めたが、児相の結論は、純平くんを坂本家から引き上げることだった。引き上げられた里子は、そのあと一時保護所で過ごし、児童養護施設へ再入所することになる。

「やっとやっと、人生で初めて、みんなと同じ家庭を得たのに。子どもの立場からすれば、こんなに残酷なことはない。彼は、最後まで『この家にずっといたい』と言い続けていました。わたしもふくめ、みんな『子どものために』と話し合い判断するけれど、子ども本人の意思が尊重されることは多くなく、大人に振り回されてしまう」