不妊治療の後、里親へ
坂本さんは、世間体や体面を非常に気にする厳しい両親の下に育ち、最初は、福祉系大学への進学を親に反対されたことで断念し、短大へ進んだという。親が反対したのは、有名大学でなければ、大学名を周囲に聞かれたときに恥ずかしいという理由だったそうだ。しかし、その後、1年間、念願の福祉関係の学校に通い、子どもの社会福祉を専攻した。もともと坂本さんは子どもが好きで、障害のある子に寄り添いたいという思いを10代から抱いていたのだという。
23歳で、教育系の職場で働く夫と結婚。婚姻時に、「もし、子どもが授からなかったら、里子を育てよう」と夫婦間で決めていた。
「私、昔からどんな子とも仲良くなれる自信があったの。なかなか妊娠しなくて不妊治療もしたけれど、自分の子どもを持てないと分かったら、里親にあっさり切り替えられた。これは、神様が私に里親をやりなさいと言っているんだなと。与えられた宿命というか、背中を押されているとはっきりとわかったの」(坂本さん、以下同)
夫婦で居住地である東京都の窓口に出向き、里親希望を伝えたところ、「養子縁組里親」か「養育里親」の選択が必要ということで、坂本さんは迷わず、「養育里親」を選んだ。
「家に跡取りが必要なわけでもなく、縁組をする気もなかったので、養育里親で行こうと即決。養子縁組里親は、なかなか子どもが来なくて、1年以上待つこともあると聞いたので、それなら早く子どもを預かってあげたいと思ったの。本当の親と暮らせるなら、それが一番だから、それまで大事に預かろうって。住居や経済力などさまざまな面での調査があったり、夫婦で講習を受けたりして、ようやく、里親として認められたの」
3歳の男の子は、担当の保母さんにしがみついていた
1985年、坂本さんが27歳の時だった。
2カ月後に児童相談所の担当者から、乳児院にいる3歳の男児はどうかと打診があり、夫婦で乳児院に面会に行った。