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1945年の末までに約14万人が原爆で亡くなった

 子どもたちや家族を探したり、救護のために市内に入った人々も強烈な残留放射線のために発病したり、大勢が亡くなった。1945年(昭和20年)の末までに原爆のために約14万人もの人が亡くなったといわれている。私は生き残った山本さんに聞いた。原爆を落としたアメリカをどう思いますか?

「大量殺人兵器を落としたということはね、やっぱりアメリカは許されるべきことじゃないんですよ。でも考えてみるとね、こんなこと言っちゃ悪いけど、戦争を起こしたのは日本なんですよ」

14歳のときに被爆した、山本定男さん93歳(撮影=フリート横田)

 アメリカ製の核兵器に顔半分を焼かれ、親族や後輩を殺められた本人、戦争をその身で体験した最後の世代の言葉。そして山本さんは、核兵器の恐怖が今も去っていないことを強調する。現在も全世界には1万2000発以上の核兵器が存在している。

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「ロシアは、核を使うと威嚇しとる、イスラエルもそんなこと言ってる。いつまた核戦争が起こるかもしれないという状況ですが、どうしたらいいか。 私も答えがよくわからないんですよ。でも、やっぱり世界中の人にもっと原爆や被爆の実相を知ってもらって、世界中で声を上げていくことが大事なんだと思います」

「これは爪と皮膚です」被爆して亡くなった広島二中1年生の遺品

 その後も長く被爆による障害に苦しむ人々が生まれ、それは今に引き続いている。山本さんは広く知ってほしいというが、惨禍は現在、正しく伝えられているだろうか。

両下肢に火傷を負いケロイドになっている原爆被害者 ©時事通信社

 昭和のテレビ番組によって、山本さんは後輩たちの最期を知ることができた。読者にお聞きしたい。令和6年の本日8月6日のテレビ番組表はどうなっていますか。原爆について特番を組んでいますか。

 近年、民放で戦争について取り上げるとしても、生々しい被害、グロテスクな場面については直接的に見せないか、あるいは隠してしまう傾向が強まったように思える。痛みを想像させない、小綺麗に着地させ、しめくくる番組が増えたように思う。

 激しく思考をゆさぶるものを堂々と提示できるだけの知性や良識、勇気が放送側から減って、あたりさわりのない「漠然とした悲しみ」として戦争を提示するような、安易な自主規制へと傾いている気がしてならない。山本さんの証言をかみしめる。

「遺品は語ると思うんです。これを知ることもね、非常に大切なことだと私は思います。これは……残酷な遺品です」

被爆して亡くなった広島第二中学校1年生が残した爪と皮膚(寄贈者/手島栄、提供/広島平和記念資料館)

 山本さんは黒ずんだものが写っている写真を示しながら話してくれた。広島二中1年生が残したもの。

「これは爪と皮膚です。喉の乾きに耐えかねて、爪のはがれた指先から出た膿を吸ったのです。兵隊にとられていたお父さんのために、お母さんが形見として残し、のちに原爆資料館に寄贈されたもの。これは現在は倉庫にしまってありますが、こうした遺品が資料館にはたくさんあるのです」