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79年目の終戦

「お母ちゃんと叫びながら、子どもが川に飛び込んだ」死者14万人の“広島原爆”を体験した被爆者(93)が語る、“非業の死”を遂げた子どもたちへの思い

「お母ちゃんと叫びながら、子どもが川に飛び込んだ」死者14万人の“広島原爆”を体験した被爆者(93)が語る、“非業の死”を遂げた子どもたちへの思い

広島原爆の日・被爆者の証言 #2

8時間前
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 遺品は、少年の傷付いた肉体そのものだった。広島平和記念資料館(原爆資料館)には、多数の遺品が展示されている。言葉でしか語り得ないものがあるのと同時に、胸が苦しくなるほど、言葉以外でしか語り得ないものがある。どうか資料館まで足を運んで、目視していただきたい。

被爆して亡くなった広島第二中学校1年生の学生服(寄贈者/谷口順之助、提供/広島平和記念資料館)

全滅した広島二中の1年生に捧げる合唱曲を制作

 山本さんは「碑(いしぶみ)」の放送を見て、1年生たちの最期に衝撃を受けたあと、慰霊のためにある行動を起こした。

 高校時代から合唱を続け、男声合唱団の代表を務めていた山本さん。全滅した広島二中の1年生に捧げる合唱曲を作ろうと動いた。奇しくも作詞者も作曲者も広島二中出身者が担当することになり、9章、45分の大曲「レクイエム『碑(いしぶみ)』」が放送翌年の昭和45年完成した。

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 山本さん指揮のもと、少年たちが命を落としたほとんどその場所といえる広島市公会堂(現在の広島国際会議場の場所にあった建物)で発表したのだった。

 コンサートの最中、山本さんは公会堂の背面の扉を開けてもらった。開けた向こうには、石碑が見えた。子どもたちのための慰霊碑だった。鎮魂歌は風にのって、子どもたちに届いたと信じたい。

被爆した原爆ドームの現在(撮影=フリート横田)

子どもたちの死を悼むだけで終わらせないでほしい

 いま、既存メディアが戦争を伝えなくなってきている分、ネットメディアが取ってかわられているかと言えば、そうとも言い切れないと私は思う。ウェブ上で読ませる記事は、文字量の多いものは忌避される傾向にある。そういう意味で、これだけ長い本稿をここまで読んでくださったあなたに感謝します。重ねて2つ、お願いがあります。

 今日は8月6日。黙祷をお願いします。

 しかし暗いまぶたの裏を見ながら子どもたちの死を悼むだけで終わらせないでください。あなたが誰かの兄や姉、父や母であるのなら、大人が守ることができなかった、生きられなかった少年たちを、弟や息子だと暗闇のなかで想像してください。

 そして、今を生きているあなたの弟や息子や妹や娘に、何が起きたのかを話してきかせてください。いまこの世にいる子どもたちを、ふたたび戦争の中に投じないと、誓ってください。そのことだけが、亡くなった子どもたちに我々ができる唯一の慰めです。

 歴史を知るとは過去の事柄を知ることではないと私は思います。過去をもう一度、いまに引きつけて、考えることだと思います。

 もう1点あります。

 広島二中生徒の慰霊碑は、平和記念公園内、本川のほとりに佇んでいます。広島に行かれた際は、手をあわせ、子どもたちにもう一度、祈りを捧げていただきたいのです。

広島二中原爆慰霊碑 ©時事通信社

引用:『いしぶみ』広島テレビ放送編 ポプラ社発行 1972年

「お母ちゃんと叫びながら、子どもが川に飛び込んだ」死者14万人の“広島原爆”を体験した被爆者(93)が語る、“非業の死”を遂げた子どもたちへの思い

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