高波になると閉鎖されてしまう砂浜道路
苦境は地震の他にも理由がある。
「砂浜が狭くなって、ドライブウェイを走れない日が増えているのです」と康弘さんは嘆く。
原因はいくつか指摘されている。手取川にダムが建設されたことで海に流れ出る土砂が少なくなった。波による海岸の浸食も進んだ。このため、少し高波になると砂浜道路は閉鎖されるようになった。
石川県は沖合に人工リーフ(海面下の構造物)を設置したり、砂を投入したりしているが、なかなか効果は上がっていない。
ドライブウェイの閉鎖日は南の宝達志水町側の区間で特に多く、石川県の羽咋土木事務所によると、この7月中に通行できたのはたった1週間程度だった。北の羽咋市側の区間では3週間程度通れたという。
康弘さんは「波が高いと海水浴もできません。梅雨が明けると海が穏やかになるので、お客さんが増えると思いますが、下手をするとドライブウェイは僕が生きている間になくなってしまうのではないかと心配しています」と話す。
後日、電話で状況をうかがうと…
私が浜茶屋を訪れたのは、晴れてはいたものの、梅雨時期だったので、その後の状況を電話などで聞いた。
北陸地方が平年より9日遅れて梅雨明けしたのは8月1日。その前日と翌日にお父さんの武治さんに連絡がついた。武治さんは今浜浜茶屋組合(宝達志水町)の組合長である。
「7月11日に浜開きをしたのですが、土砂降りの日が多くて、波も高く、なかなかお客さんには来てもらえませんでした。新型コロナウイルス感染症の流行が一番酷かった年でもこんなことはなかったですね。8月は天気になるという予報だから期待しています」と話す。
奥能登観光のついでに寄る人は相変わらず少ない。「今年は海水浴のために、日帰りで来る人が中心になりそうです」と予想していた。
困ったことに、「浜茶屋が営業していないと思い込んでいる人がかなりいる」のだという。
「つい先日も岐阜県の高山から毎年海水浴に来る人が電話をくれました。『今年も行きたいけど、浜茶屋はやっていますか』という問い合わせでした」
これには「能登半島へ行くな」という大合唱が起きたのも影響しているのではないか。
地震の発災直後、奥能登の道路は完全に寸断され、ライフラインも壊滅したことから、ボランティアにさえ来てもらうことができなかった。だが、次第に「行ける」地区が広がり、「来てほしい」という人が増えても、「能登半島には行けない」というイメージだけは残った。
「行くな」とは宣伝されても、「行ける」とはなかなか宣伝されないのである。
能登半島の海水浴は盆までが勝負だ。武治さんの浜茶屋の営業も8月末で終わる。
「浜茶屋は今年も頑張って営業しています。『元気でやっています』と皆さんに伝えて下さい」
能登の夏は短い。武治さんの切実な声が聞こえた。