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いろいろあった“オリンピックの最寄り駅”「千駄ヶ谷」の“語られない過去”に何があった?

14時間前

genre : ライフ, , 社会, 歴史

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駅前の一角にあった「日本史でおなじみのあの人たちの家」

 千駄ケ谷駅は、二度のオリンピックを経験している。1964年と2021年。ふたつのオリンピックにあわせて、駅もそれぞれリニューアルが行われている。

 2021年のオリンピックに際しては、駅舎そのものも大きく拡張され、ホーム幅も広げられて従来の1面2線から2面2線になった(ちなみに、このとき新設されたホームは1964年のオリンピックに合わせて臨時ホームとして設けられたものだ)。

 

 結局このリニューアルは、オリンピックが無観客だったことでなかば徒労に終わったのだが、いずれにしても千駄ケ谷駅は広々とした空間を持っている。けれど、取り立てて何かのイベントがあるわけでもない平日の昼下がり、千駄ケ谷駅で降りるお客はまばらだ。ハレの日のイベント時はともかく、日常的には広い通路やホームは若干持て余し気味なのではないかと思うくらいだ。

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 そんな高架下の駅舎から改札を抜けると、小さな駅前広場が待っている。このあたりは線路に沿って首都高の高架も通っているから、その高架下を利用した駅前広場といったところだろうか。そして、駅前の向こう側、正面の横断歩道を渡った先には津田塾大学のキャンパスがあり、向かいには東京体育館だ。

 

 この駅前の一角には、戦時中まで徳川宗家の邸宅があった。あの大河ドラマの宮﨑あおいでおなじみ、天璋院篤姫が最期の時間を過ごしたのも千駄ヶ谷の徳川邸だ。明治になって天下を統べる立場ではなくなったものの、徳川宗家は数少ない公爵家のひとつ。その御邸宅があったということから、この町の“格”というものがうかがえる。

 いまはそんな徳川宗家の面影はなく、東京体育館の間を東に向かって抜けてゆくと、そのまま千駄ヶ谷から神宮外苑のスポーツゾーンへと突入する。

いちょう並木を横目に銅像だらけの街並みを歩く

 

 東京体育館と国立競技場の間には外苑西通りという南北の大通りが走り、国立競技場の東側には神宮外苑の聖徳記念絵画館。その前には猛暑の平日の真っ昼間から草野球に興じる人たちの姿が見られる軟式野球場が広がり、まっすぐ南の青山通りに向かって神宮外苑名物のいちょう並木が続いている。

 
 

 大学野球の聖地にして、東京ヤクルトスワローズの本拠地である、明治神宮野球場はその西側だ。神宮球場に隣接して青山通り側には秩父宮ラグビー場も並んでいる。その南側には伊藤忠の東京本社ビルもそびえ立つ。