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いろいろあった“オリンピックの最寄り駅”「千駄ヶ谷」の“語られない過去”に何があった?

14時間前

genre : ライフ, , 社会, 歴史

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 そして、神宮球場の目の前の、「スタジアム通り」という通りを渡った先、日本青年館の脇にあるのが「JAPAN SPORT OLYMPIC SQUARE」。日本オリンピック協会や日本スポーツ協会の本部が入る、いわば日本のスポーツ界の総本山。傍らには五輪のマークもあるし、嘉納治五郎や岸清一の像もある。

 
 

 さらに、国立競技場の外縁に沿って歩いて外苑西通りを辿ってゆくと、国立競技場の壁面には1964年の東京オリンピックでの金メダリストの名前が刻まれていた。他にも、ユニバーシアードや世界陸上の金メダリストも名を連ねる。まさに、このエリアは日本のスポーツにとって特別な場所なのだ。

 

 国立競技場の脇を南北に通る外苑西通りは、おおよそ渋谷区と新宿区の区境にあたる。厳密には外苑西通りではなく、国立競技場の敷地内に境界線が通っているのだが、これはもともとの区境を成していた渋谷川の流路だったからだ。

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 国立競技場の南側には、都立明治公園という立派な名前の公園が広がり、その奥にはこれまたとてつもなく立派なマンションが建っている。

 明治公園という名前からは明治時代にできたのかな?などと思ってしまうが、オープンしたのはつい最近。もともとこの場所には、都営霞ヶ丘アパートという公営住宅が建っていた。1958年に旧国立競技場が建設されるのにあわせ、立ち退きを強いられた周辺住民のために建設されたという。

 

 その公営住宅も、新国立競技場の建設に際して取り壊されることになり、その跡地の一部が明治公園になった。こうしたエピソードからも、この一帯が歴史に翻弄されてきたということが感じられる。

よく聞く「神宮外苑」の知られざる“あのころ”

 

 ちなみに、千駄ケ谷駅近くのスポーツゾーンは、ひとまとめにして「神宮外苑」などと呼ばれたりする。が、実はいくつかのスポーツ施設のうち、神宮外苑に属するのは軟式野球場やテニスコート、線路沿いのスケートリンク、そして神宮球場くらい。