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 そして、明治神宮が整備されると、外苑と内苑を結ぶ裏参道も設けられる。千駄ケ谷駅前から線路に沿って西に向かういちょう並木が、裏参道だ。往時は自動車道と歩道に加え、乗馬道もあったという。自動車道と歩道はいまも残っているけれど、乗馬道は首都高の高架下に埋もれている。

 神宮の内苑と外苑に挟まれた市街地。こうした立地のおかげか、戦後には繁華街的な要素も強めていく。一時期は連れ込み旅館が多数建ち並び、あまり風紀のよろしくない町というイメージも持たれていたそうだ。

 

 1964年のオリンピックに前後してそうしたイメージは払拭され、オリンピック後には隣接する原宿が流行の発信地になるにつれて、アパレルメーカーが多く集まるようになったのも、この町の特徴のひとつだ。

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 こうして、いまに至って千駄ヶ谷は、スポーツゾーンと近代以降の“東京”を煮染めたような市街地という、ふたつの顔を持つようになった。町を歩くと、千駄ケ谷駅の東と西で、ふたつの顔はまったく見事に分かれていることが感じられる。わかりやすくいえば、再開発前と後、といったところだろうか。

渋谷区側の空を見上げて気づいた“あること”

 

 そして、このふたつの町を歩いて気がついたことがある。新宿区側のスポーツゾーンには、電柱がひとつもない。ところが、渋谷区側の住宅・商業ゾーンには道の端に電柱が並び、空中には電線が幾重にも横たわっているのだ。

 電線を地下に潜らせて無電柱化、というのは小池百合子都知事の公約のひとつだったような記憶がある。その是非やら公約の進捗をどうこう言うつもりはない。ただ、無電柱で道幅も広々としたスポーツゾーンより、電柱と電線が輻輳している千駄ヶ谷の商店街のほうが、どことなく人間味があって身近に感じられるのは、私だけだろうか。

写真=鼠入昌史