独房で口ずさんだ「アメアメフレフレ、カアサンガ…」

 山下はその言葉どおり、ルソン作戦中にたびたびあった住民虐殺の責任を負い、マニラのアメリカ軍戦犯法廷で絞首刑を宣告される。

「十分に覚悟しているから安心しろ。それよりもお前たちは、日本へ帰ってしっかりやってくれよ」

 と弁護に立ったもとの部下たちに言うのを、山下は常とした。

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 山下が刑死したのは昭和21年2月23日。独房にあったとき、山下は毎日のように「アメアメフレフレ、カアサンガ……」と口ずさんでいたという。そして処刑のとき通訳としてつきそった僧職森田師に、辞世の歌三首と、将兵一同とその家族にたいする最後の言葉を口述している。

独房のイメージ

 野山わけ集むる兵士十余万還りてなれよ国の柱に

 今日も亦大地踏みしめ還り行くわがつはものの姿たのもし

 待てしばし勲(いさお)残して逝きし友後な慕ひて我も逝かなむ

刑執行40分前の言葉に込められた想い

「私の不注意と天性が暗愚であったため、全軍の指揮統率を誤り何物にも代え難いご子息、あるいは夢にも忘れ得ないご夫君を、多数殺しましたことは誠に申し訳のない次第であります。激しい苦悩のため、心転倒せる私には衷心よりお詫び申し上げる言葉を見出し得ないのであります。(中略)

 私は大命によって降伏した時、日本武士道の精神によるなれば当然自刃すべきでありました。事実私はキヤンガンで、あるいはバギオで、かつてのシンガポールの敗将パーシバルの列席の下に、降伏調印した時に自刃しようと決意しました。しかし、その度に私の利己主義を思い止まらせましたのは、まだ終戦を知らない部下たちでありました。私が死を否定することによって、キヤンガンを中心として玉砕を決意していた部下たちを、無益な死から解放し、祖国に帰すことができたのであります。

 私は武士は死すべき時に死処を得ないで恥を忍んで生きなければならない、というのがいかに苦しいものであるか、ということをしみじみと体験しております……」

「マレーの虎」と呼ばれていた頃の山下大将

 悲劇の名将とよぶにふさわしい山下の、刑執行40分前の言葉には、かつての部下を一人でも多く祖国へ帰してやりたいという、あふれんばかりの想いだけがある。忠誠な軍人としての、天皇にたいする別れはもうとっくにすんでいたのであろう。