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79年前、この町で悲劇が起きた

 そんな歴史の舞台と、北条氏、ついで徳川氏にも勝手な伐採を禁じられて保護されてきた霊験あらたかな高尾山が、旧甲州街道と中央本線を挟んで向かい合う。いまは、旧道や中央本線とおなじところを、中央自動車道も通っている。

 

 中央自動車道は、旧甲州街道や中央本線の真上で圏央道と交差している。八王子ジャンクション。旧甲州街道を歩いていると、遥か頭上にそのジャンクションが異様なまでの圧迫感で見えてくる。高尾山と八王子城と甲州街道、中央線。このまま旧甲州街道を進めば、小仏峠を越えて山梨県へと入ってゆく。

 それは中央線とて同じこと。小仏トンネルを抜ければ富士山の入口、大月へ。そして笹子トンネルを抜ければ甲府盆地へとやってくる。けれど、その手前、八王子ジャンクションの真下にも、小さなトンネルがひとつある。湯の花トンネルという。79年前の夏、8月5日。この場所で、悲劇が起きた。

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その列車は10時10分に新宿駅を発った

 1945年8月。いまから振り返れば、戦争がもうすぐ終わるということはわかっている。けれど、その時代を生きていた人たちは、いつ戦争が終わるかなど知りようもないことだ。日本中が空襲にさらされ、大都市ならずともその標的になった。高尾山があるいまの八王子市も、8月2日の未明にB29のターゲットになっている。

 そんな中でも、鉄道は走り続けていた。中央本線も1日10往復。1945年6月20日という終戦が押し迫った時期でも、それくらいの運転本数が確保されている。八王子空襲直前の8月1日には、浅川(高尾)~大月間に1往復増発されている。

 当時の新聞には、「中央線通勤者の便を計つて」とあるから、県境を越えた通勤需要も少なからずあったのだろう。甲州方面に疎開している人が多かったという事情も関係しているかもしれない。