銃撃された客車、50名の犠牲…「中は、まさに凄惨そのものだった」

 ここで走り続けていたら2度目の攻撃はなかったかもしれない。しかし、それは絵に描いた餅といっていい。電気機関車が走るためには架線から電気をもらう。その架線が敵機の機銃掃射で断ち切られれば、どうしたって列車は走れない。

 そして、停まった列車にたいして2度目の攻撃が行われる。1度目の攻撃からは数十秒ほどしか間がなかったという。列車のいわば心臓部である機関車はトンネルの中。P51はむき出しになった満員の客車に集中的に銃撃をする。

 車外に逃げたものの、それが裏目に出た人も少なからずいた。機銃掃射を跳ね返すほどの防御性能を持った客車が走っているわけもなく、すし詰めの車内のお客たちはなすがまま。そうしてわずか数分の間に、50名ほどの乗客が犠牲になった。

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 機銃掃射を終えたP51が飛び去ったあとの客車の中は、まさに凄惨そのものだったという。銃撃で即死した人が血を流しながら横たわり、その脇には重傷を負った乗客が倒れている。荷物も散乱し、放心状態のお客も少なくない。ほうほうのていで逃げ出した人たちが列車の周囲に散らばっている。

 ほどなく、地元・浅川の住民や警防団員たちによる救助活動がはじまった。

 

 ちなみに、客車から逃げ出していた森正蔵は、このときに土産の入ったリュックサックと風呂敷が車内にあることを思い出し、取りに戻っている。このあたりに、日常と非日常の狭間にあった当時の人々の生き様がうかがえる。