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『虎に翼』が尊属殺人の問題にこだわった理由

『虎に翼』の「桂場最高裁長官」のキャラクターはオリジナルの部分も多いが、実際の石田長官は一面では、ドラマにも類似のシーンが登場したように、青年法律家協会所属の裁判官に対する「ブルーパージ」を強行するなど、保守的な姿勢が目立った。ただ、帝人事件の判決などを見ても、「右であっても左であっても司法への政治介入に反対する」姿勢を変えなかったといえるのかもしれない。

NHK『虎に翼』公式Xより

 ドラマでは「桂場」は「穂高」の弟子筋となっていた。実際の穂積と石田は師弟関係にはなかったが、尊属殺人重罰規定の違憲判断ではバトンをつないだ形になった。「穂高」も穂積も「遅かった」と思いつつ判決を歓迎したのではないか。そして「寅子」も嘉子も。

 この事件をまとめた谷口優子『尊属殺人罪が消えた日』(1987年)によれば、二審東京高裁の裁判長は法廷でこう言ったという。「被告人はお父さんの青春を考えたことがあるか。男が30歳から40歳にかけての働き盛りに、何もかも投げ打って被告と一緒に暮らした男の貴重な時間を、だ」。「寅子」も嘉子もそうした社会と闘い続けたのだろう。ドラマが尊属殺人の問題にこだわったのは、それが憲法の評価に直結するからだ。『虎に翼』は極めて異色の「憲法劇」だったといえる。

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「山田・轟法律事務所」の壁に大きく掲げられた、憲法第14条(NHK『虎に翼』公式Xより)

▽有竹修二『一業一人伝 武藤山治』(時事通信社、1962年)
▽安藤良雄編著『昭和政治経済史への証言 中』(毎日新聞社、1966年)
▽筒井清忠編著『昭和史研究の最前線』(朝日新書、2022年)
▽テレビ東京編 きき手=三國一郎『証言・私の昭和史(2)戦争への道』(旺文社文庫、1984年)
▽三淵嘉子さんの追想文集刊行会『追想のひと三淵嘉子』( 三淵嘉子さん追想文集刊行会、1985年)
▽清瀬一郎『秘録東京裁判』(読売新聞社、1967年)
▽冨士信夫『私の見た東京裁判 上』(講談社、1986年)
▽松井康浩『原爆裁判 核兵器廃絶と被爆者援護の法理』(新日本出版社、1986年)
▽松井康浩『戦争と国際法 原爆裁判からラッセル法廷へ』(三省堂新書、1968年)
▽原爆被害者の手記編纂委員会編『原爆に生きて 原爆被害者の手記』(三一書房、1953年)
▽山代巴編『この世界の片隅で』(岩波新書、1965年)
▽中国新聞社編『ドキュメント中国百年〈第3部〉重い軌跡』(浪速社、1968年)
▽野村二郎『最高裁全裁判官 人と判決』(三省堂、1986年)
▽極東国際軍事裁判所編『極東国際軍事裁判速記録』(雄松堂書店、1968年)
▽谷口優子『尊属殺人罪が消えた日』(筑摩書房、1987年)
▽大村敦志『穂積重遠』(ミネルヴァ書房、2013年)