歴史上、「怪物」「妖怪」などと呼ばれた人間は何人かいる。飯野吉三郎は、その中でも特異な人物だろう。住んでいた地名から「穏田の怪行者」「穏田の神様」「日本のラスプーチン」などと呼ばれ、明治、大正を通じ、森羅万象を予言する霊能者として政財界の大物に深く食い込み、皇室にまで影響を及ぼした。築いた資産は現在の80億円にも上る。だが、最後は謀略めいた事件を“仕掛けられて”失脚。世間から忘れられた。
時代はなぜ彼を持ち上げ、その言動に注目したのか。一体、彼はどんな存在だったのか――。文中、現在では使われない「差別語」「不快用語」が登場する。新聞記事などは、見出しのみ原文のまま、本文は適宜、現代文に直して整理。敬称は省略する。(全4回の2回目/つづきを読む)
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“食い物にされた”女
飯野吉三郎には妻同然の2人の女性がいた。新聞が “才気”“美貌”と表した彼女たちの名前は「高原むめ」と「鈴木げん」。げんは吉三郎の「妻以上の妻」といわれ、6月26日付東京朝日(東朝)には2人の関係性についての記述もある。要約すれば――。
〈げんは明治女学校を卒業後、郷里に帰ったが、吉三郎は彼女の美貌に深く胸を焦がし、名簿を基に国元を訪ねた。そこで、思った以上の富貴な家であることを知り、げんを連れ出して両親を説得。食い物にしようと考えた。種々に策略をこらしたうえ、母親から身柄を全面委任するとの書状を取り、学資などとして600円(現在の約330万円)を受け取って、げんを連れ、東京へ戻った。
両親は吉三郎の言動が怪しいと気づき、母親が上京。連れ戻そうとしたが、「病気で動けない」などと言い、乗せるための台を持って迎えに出したところ、げんは姿を消しており、吉三郎が刀を引き抜いて切りかかってきたので逃げ帰った。母親も諦めて帰郷。以後2~3度、手紙を出したが、げんからの返事はなかった〉
東朝6月27日付と28日付では、詐欺事件に至るいきさつを次のようにまとめている。




