家計に苦しむようになり…

〈当時自ら精神学者を名乗り自宅で講義を行っていた吉三郎だったが、信用が次第に落ち、新しく入学する生徒もなくなった。懐が寂しくなり、家賃は4カ月分滞納。八百屋、魚屋はもちろん、商人の負債も重なり、日々催促を受けた。しかし驚く様子はなく、執事に「お上はおまえたちの催促に立腹。いずれ払ってつかわすから、それまで控えていろと言っている」と答えさせた。

 吉三郎は都合の悪い人間が来ると発狂したふりをして刀をひらめかせて追い返した。同家に貸し売りする者もなくなり、ますます家計に苦しむように。そこで一計を案じたのが、3~4回、着物を買ったことのある白木屋をだますことだった〉

「代金はその時払うから」

〈さる2日昼ごろ、紳士ふうの身なりをし、派手な人力車で白木屋に赴き、顔見知りの番頭に、(夏用の生地)の五つ紋の羽織と単衣(裏のない着物)、子どもの着る塩瀬(絹織物の一種)の袴、その他、博多帯、ちりめん類など約150円分を取り出させ、「これを仕立てて屋敷まで届けてくれ。代金はその時払うから」と頼んで帰った。白木屋は詐欺とは知らず上客だと思って、急いで仕立て上げ、手代(=商店の使用人)に届けさせた。

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 吉三郎は「少々都合があり、代金は2~3日中に払う」と返答。手代は家の構えが立派なのと、書生、女中らがいるのに安心して帰ったが、待てど暮らせど音沙汰がない。手代2人が請求に行くと、執事が「お上の都合のいい時でなければ払えない」と言う。手代らが「詐欺ではないか」と怒ると、吉三郎が刀を抜いて躍り出て「詐欺とはふらち千万。2人とも覚悟しろ」と障子に切りつけた。

 驚いた手代らは逃げ帰って、派出所へ訴えた。警察はそれ以前から吉三郎に不審を抱いて、刑事を生徒に仕立てて送り込み、吉三郎の精神学講話にいちいち反論。吉三郎が怒ってランプを投げつけたことまで確認していた。そこへ白木屋からの訴えがあり、牛込署員が拘引の手続きをすると、吉三郎は察知して刀を井戸に投げ込み、詐取した着物を着て拘引に応じたという〉

女2人とともに逮捕・起訴

 東朝は翌週の7月5日付から吉三郎の別の詐欺事件を報じた。『史談裁判第4集』にコンパクトにまとめられているので、そちらを見よう。

 困窮していた吉三郎は「精神学団」の一員になった女性に依頼。女性が腸チブスにかかって吉三郎が50円(現在の約28万円)を立て替えたという筋書きを作り、郷里福島県の父親に送金させようとした。父親は驚いて上京したが、結局吉三郎に48円(約27万円)を詐取されたという。

 むめ、げんとともに起訴され、白木屋事件なども合わせて1898(明治31)年4月21日の控訴審判決で吉三郎は重禁錮2年、罰金20円を言い渡された。むめも実刑を受けたが、げんは無罪とされた。