獄中で見せた“奇妙な予知能力”

 吉三郎はのちのちまで冤罪を主張した。ジャーナリスト横山源之助による『凡人非凡人』には、教誨師(きょうかいし)から聞いたという巣鴨の東京監獄での吉三郎の姿が書き留められている。

 その態度、その言行は普通の囚人とは非常に変わっていた。まんじりと夜は眠らず、寂然と目を据えて瞑想にふけっていた。食事は1日に2食または1食で、いつも同房者に分けていた。時に在監者の身の上を判断して誤らなかったので、不思議の運命にさいなまれていた同囚は舌を巻いて驚いたそうだ。のみならず、獄外の近況も手に取るように予知していたので、さまざまな囚人に接した典獄*らも奇異に打たれた。特に政治の消息は彼の好んで語るところで、ある時は内閣の変動を未然に言い当てたので、一時は巣鴨監獄内で大評判になった。

 *典獄=刑務所長のこと

 これについても新聞報道がある。1898年12月26日付読売によれば、吉三郎が典獄の人事異動を言い当てたので、監房を調べたところ、新聞などを発見した。むめとげんが美貌を使って看守を取り込み、新聞や食べ物を差し入れていたことが分かったという。

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 つまり吉三郎は新聞記事を読んで「予言」していたわけで、人より霊感が強かったことは確かでも、霊能力がどれだけあったかは定かでない。『史談裁判 第4集』は釈放後の様子をこう書く。

 監獄を出て、飯野は警視庁の監視を受けながら、麹町平河町の裏長屋に鈴木げんとともに住んでいた。大井憲太郎(自由民権運動の闘士)が上京して神田錦町に「大日本労働団連合本部」の看板を掲げたとき、飯野は毎日のように通っていた。

 そのほか秋山定輔(「二六新報」創刊者)、田川大吉郎(ジャーナリスト・衆院議員)、佃信夫(ジャーナリスト)らが集まる桜田会館にも出て、民間の少壮政治家に接近していった。