歴史上、「怪物」「妖怪」などと呼ばれた人間は何人かいる。飯野吉三郎(いいのきちさぶろう)​は、その中でも特異な人物だろう。住んでいた地名から「穏田(おんでん)の怪行者」「穏田の神様」「日本のラスプーチン」などと呼ばれ、明治、大正を通じ、森羅万象を予言する霊能者として政財界の大物に深く食い込み、皇室にまで影響を及ぼした。築いた資産は現在の80億円にも上る。だが、最後は謀略めいた事件を“仕掛けられて”失脚。世間から忘れられた。

 時代はなぜ彼を持ち上げ、その言動に注目したのか。一体、彼はどんな存在だったのか――。文中、現在では使われない「差別語」「不快用語」が登場する。新聞記事などは、見出しのみ原文のまま、本文は適宜、現代文に直して整理。敬称は省略する。(全4回の3回目/つづきを読む)

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大逆事件のきっかけをつくった?

 飯野吉三郎の“伝説”の一つが、明治天皇の暗殺を図ったとされる「大逆事件」摘発の端緒をつくったのが彼だったという話だ。

 大逆事件は1910(明治43)年、無政府主義者の幸徳秋水ら26人が起訴され、大審院特別法廷で24人に死刑判決。12人は無期に減刑されたが、幸徳ら12人が翌年1月処刑された。大半は事実上冤罪で、当時の桂太郎内閣が社会運動弾圧に利用したとの説が根強い。

幸徳秋水 ©文藝春秋

 そして、確かに吉三郎は事件の関係者として聴取を受けており、判決文にも引用された供述の内容は次のようだった。

 明治42(1909)年12月中、奥宮健之、長谷川昌三の両名で来訪。近来幸徳派の社会主義者が過激な行動を企て、あるいは皇室に及ぶかも計り難いことから、緩和策を講じざるを得ない。ついては、1万円(現在の約3600万円)あれば我々が引き受けてその任に当たると申し出たので、私も一応は賛成の意を表し、(内務省)警保局長に交渉したことがあった。その際の奥宮の話は演説口調で、要するに、幸徳らは爆裂弾を作り、皇室に容易ならざることをするかも分からない。

 そうした時に彼らと政府の間に入って、双方の融和を講ずることは最も急務ではないかと考え、私は奥宮に、日本の臣民として恐れ多くも皇室に対して不穏な行動をするような者は1人もないだろうと答えたが、奥宮は「ないだろうと言っても、もしあったらどうする」と叫んだので、私は大いに驚いた。

「爆裂弾を作っている」という情報が吉三郎から…

 奥宮健之は古くからの民権活動家だったが、金に困って情報を売り買いするようなことをしており、このころ立て続けに8回、吉三郎に面会。幸徳らをなだめるという口実で金を引き出そうとしていた。

 長谷川は大井憲太郎の弟子で、当時は情報屋だった。警保局長は元老の山県有朋元首相に近いとされた有松英義。「爆裂弾を作っている」などという情報が吉三郎から有松を通して山県に持ち込まれ、それを口実に「大逆事件」が作り上げられたともいわれる。