伊藤博文にも「ただ者ではない」と思わせた手口
1914(大正3)年12月16日付東朝のコラム「東人西人」は要人に取り入る吉三郎の“手口”を紹介している。
怪行者飯野吉三郎が軍人、政治家、貴婦人らを籠絡(=丸め込む)して信者をつくった巧妙さは有名な話である。故伊藤(博文)公(初代首相)のごときも彼にやられた1人で、公が彼を信仰したかどうかは知らないが、少なくとも彼を不思議な人物ぐらいには思っていたらしい。
その始まりはこうだ。彼がある日、伊藤公邸に行くと、折しも公は備前ものか何かの刀剣が購入できてとても得意だった。飯野はこれを見るなり、「ちょっと拝見」と言いながら、刀の鞘をはらって刀身をわしづかみにし、平気でスッとしごき、「いや、結構な出来です」と何気なく押し返したので、さすがの公もあっけにとられ、「彼はただ者でない」と感じ入った。これがそもそも彼が伊藤公に取り入った始めだそうだ。
銀行員切り付け事件
そんな吉三郎にまたトラブルが――。「怪行者飯野の収監 太刀を揮ひ(振るい)行員を斬る」という見出しの記事を載せたのは1914(大正3)年12月6日付読売。内容はこうだ。
青山穏田の怪行者として朝野名士の間に多くの信者を有し、家に巨万の富を蓄えて、王侯に等しい生活をし、常に疑問の人と目されつつある青山穏田25番地、飯野吉三郎が5日午後2時、突如として小原検事の令状で東京地方裁判所検事局に拘引された。小原、金山両検事の取り調べを受けたうえ、川島予審判事の係りに移され、同夜直ちに東京監獄へ護送された。
予審の秘密事項で詳細を知ることはできないが、聞くところによると、以前から預金の取り付けを受け、支払いを停止した赤坂区青山南町2ノ8、旭貯金銀行に関する事件。銀行側の言い分では数日前、銀行から飯野に、銀行整理のため3万円の借用を申し入れたところ、同人は快く承諾。3万円の借用証書を作成して現金を受け取りに行ったところ、飯野はその証書を奪ったうえ、約束の3万円を渡さなかった。
「金を渡さないなら証書を返せ」と迫ると、飯野は応じないばかりか、そばにあった長さ2尺(約60センチ)余りの大刀を引き抜き、「ぐずぐず言うなら、これでもくらえ」と斬りつけた。行員は驚いて逃げ帰ったが、それを警察が知り、脅迫罪として拘引されたという。
18年前の詐欺と似たように見えるが、この事件には「裏」があった。吉三郎は書生ら2人とともに起訴されたが、1915(大正4)年7月13日から始まった東京地裁公判で事件の具体的な事実が判明する。新聞報道と『史談裁判第4集』の記述を合わせると――。





