9日朝から警視庁刑事部捜査課は、総動員の形となり、大活動を開始した。旧冬31日の深更、谷中墓地付近において演じられた重傷事件で、告訴状の内容は、大正聖代にあってはならない奇怪犯罪が盛られているのである。
大みそか午後10時ごろ、浅草区千束町(現台東区)並木縫吉(44)が穏田の神様こと飯野吉三郎からの使いと称する2人の男に伴われ、某事件で詐取された3000円(現在の約470万円)を返してもらえると信じて上野精養軒へ同行していく途中、自動車で谷中墓地付近まで引っ張られ、そこに待ち受けていた数名の怪漢が「飯野からの返金はこれだ」と、日本刀を振りかざす者、こん棒でぶん殴る者もあり、並木はついに頭部その他に治療1カ月の重傷を負って救いを求め、谷中署に保護された時は、犯人たちは既に自動車で疾走して姿を消してしまった。
「殺人未遂事件で穏田の行者危うし」
記事には並木を告訴人に、吉三郎と「大和民労会」幹事の男、住所不定の男の計3人を被告訴人とした告訴状の内容も載っている。大和民労会は、土木請負業者で「河合映画」社長の河合徳三郎が1921(大正10)年に結成した土木建設系暴力団。告訴事実に書かれた事件に至る経緯は次のようだ。
〈並木は大正9(1920)年6月、飯野より陸軍御用商人にしてやるからその資本金を出せとのことだったのを、完全に御用商人になり得ると信じ、3000円を提供した。ところが、その後、飯野にはそれを実現させるような気配がなく、不審に思った並木が確かめたところ、飯野に金を詐取されたことが分かった。そのため再三返還要求をしてきたが、飯野は言を左右にして応じず、昨年末に至っていた〉
記事には「怪行者姿の飯野吉三郎」の写真も添えられた。10日付朝刊では東朝が「怪行者飯野吉三郎 警視廰(庁)に召喚さる」、読売は「殺人未遂事件で穏田の行者危うし」といずれも社会面トップで報道。“火をつけた”報知は「穏田の神様 飯野吉三郎の正体白日下に暴露せん」の見出しで攻撃をエスカレートさせた。
ついに裁きの日は来て、怪行者・穏田の神様、飯野吉三郎滅ぶ――。みすぼらしい売卜者(占い師)から明治・大正を通じて政界のスフィンクスと成り済ました彼。政機の動くところ、彼の魔手は必ず縦横に伸びた。要路の大官、軍閥の巨頭、実業界の大立者、甚だしきは宮中側近の高官まで彼の前にひざまずき、師事し、あるいは礼拝した。さらに計り難き不義の富貴、豪壮な穏田御殿の奥深く、日ごと夜ごと「人肉の市」が開かれていた。小羊のような某男爵令嬢をはじめ、名流の婦女数十名は彼のために情けなくももてあそばれた。ほとんど超人間的な行者を中心に淫乱、残忍、飽食、怪異小説の場面に似たあらゆる愉楽が続けられた。
「おそらく全ての罪名の持ち主である。聖代に生きていけるのが不思議だ」と、その筋ではこわごわとうわさするばかり。彼の前には警察権も及ばず、司法権の独立さえも光を失ったかと怪しまれていた。しかし、最後の時が近づいた。まさに怪物の正体は白日の下にさらされようとしている。ただし、怪物はどこまでも怪物である。不可思議な最後の力で巧みに逃れ得るかもしれない。怪行者の威力のためにわが官憲の威信がもろくも失墜するかもしれない。万一怪物は逃れおおせても、長い間国民を愚弄した陰謀政治の内幕と、現代における官界、実業界、婦人界の醜悪な一面は次々に暴露して国民を驚倒せしめるであろう。
まるで社告か何かのようで、とても普通の事件記事とは思えない。報知は小見出しを見ても「詐取された数十名泣寝入り」「飽くなき彼の罪を摘発せん」「驚くべき乱倫」など、一方的、弾劾的な報道姿勢。これに対し、吉三郎は「馬鹿げた召喚 斷(断)じて應(応)ぜぬ」と語った(東朝)。



