奥田民生から「お前」と呼ばれるほど公私ともに親交の深いトータス松本。2014年のウルフルズ再開直前、ミュージシャンを辞めようか悩んでいた日々など、人生の節目には奥田民生の存在があった。(全2回の前編/続きを読む

◆◆◆

「民生くんだけなんです『お前』って呼ぶのは」

――昨年10月に行われた民生さんの30周年記念ライブ「59-60」の初日、「ひとり股旅スペシャル@両国国技館」にはトータスさんもゲスト参加しました。ふたりで披露したウルフルズの「いい女」は、民生さんからのリクエストだったそうですね。

ADVERTISEMENT

©三浦憲治

トータス そうそう。あの何日前かな、リハがあって、そこで決めました。そのときは急だったから、ハーモニカもハーモニカホルダーも持ってなくて、1回だけざっくり合わせて終わりだったんですよ。民生くんは風邪で、体調悪そうでしたね。鼻が詰まりまくってて、ゴホゴホしてるし。僕もうつされたくないから、あまり一緒にいたくなくて、早々に終わらせて帰りました(笑)。

――そうだったんですか。あの日は民生さんと関わりの深い人たちがゲストで登場しましたが、トータスさんから見て、民生さんはどういう存在なんですか?

トータス うーん、なんでしょうね。まあ友だちじゃないですか。仲間っていう感じはしないですね。僕のことを「お前」呼ばわりする人ってあんまりいないんですよ。民生くんだけなんですね、「お前」って呼ぶのは。

 昔からそうですけど、日本のロックの歌詞でも、距離の近い女の子のことを「お前」って言うじゃないですか。もう少し距離があると「君」とかね。仕事場の年下の女の子にも、昔は「お前」とか言ってましたけど、もうそういう時代じゃないですよね。だからますます、「お前」と言うことも、言われることもなくなった。でも民生くんだけは「お前」って言いますから。年がひとつ上なんで、弟みたいに思ってるのかな。

©三浦憲治

――民生さんと初めて会ったのは、1996年4月に日清パワーステーションで行われたウルフルズのライブだったと、過去のインタビューで話していますよね。

トータス そうです、僕らのツアーの追加公演にゲストで参加してもらって。たぶんその日のパワステで初めて会ったんですよ。会ったときのことはまったく覚えてないけど、ステージで一緒に演奏したことは覚えてます。曲はなんだったかな。リハーサルとかもしたはずですよね……いや、記憶が完全に飛んでるな。

――そこから「お前」と呼ばれるくらい、近い関係になっていったわけですよね。どうやって距離が近づいていったんですか?