さらに7日付朝刊各紙には、共同通信配信と思われる6日発表の第一騎兵師団の声明が載った。「演習中、銃座正面にいた一部の日本人市民に警告のため、一兵士が空包に薬莢を詰めて空中に向けて撃ったものらしい」という内容で、米軍の公式見解として物議を醸すことになる。この後、アメリカ側の態度は微妙に揺れるが、「公務中だから裁判権はこちらに」という基本的な姿勢は最後まで変わらなかった。8日には公務証明書が発給された。

「県警や地検は米兵の氏名の公表を拒否している」(5日付朝日朝刊)とされたが、同日付毎日夕刊は、前橋地検から法務省に入った連絡として氏名を報じた。しかし、「ジラード・S・ウイリアムス三等特技兵(21)」と姓名を逆に記載。しばらくこの表記を続ける。

ジラード(「週刊読売」より)

 翌6日付朝刊で上毛は「ウイリアム・S・ジュラルド」とした。以後も「ジラルド」の表記が各紙で続く。「三等特技兵」は「上等兵と曹長の間の階級」といわれ、「兵」と言っても正確には最下位の下士官のようで、後でそう表記を変えた新聞もある。

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弾拾いを「恥ずかしい」とする見方も

 2月6日付で毎日は初の社説「米兵の不祥事件を根絶せよ」を掲載。占領期を踏まえて「日本人に人命尊重を『教えた』はずの米国側によって、人命軽視を実地教育されるような事件が日本国内で起きるのは恐るべき皮肉」として徹底的な防止策を求めた。

 半面、米軍責任者に厳重な軍紀を要望する一方、「命知らずのタマ拾いが出没し、爆発する砲弾へ突進するため、負傷・落命事故がしばしば起こる。こうまでして稼ぐ者の悲しさはさることながら……」とも指摘した。立ち入り禁止区域での弾拾いを「さもしい」「恥ずかしい」とする感情は日本人の中にも広くあったようで、早くも2月3日付読売夕刊1面コラム「よみうり寸評」では「日本人の貧しさをむき出しにした悲しい風景」と書いていた。

相馬ケ原の立ち入り禁止の立て札(「週刊読売」より)

 その後も評論家の臼井吉見は「もともと立入禁止を犯してのタマ拾いは、盗みにほかならない。割のいい現金収入の魅力が、彼らを駆って、公然たる盗みに赴かしめたのである」=「ジラード事件の教えるもの」(『現代教養全集第1(戦後の社会)』1958年)所収=と冷徹に批評した。