台湾では「のぞきを射殺」も無罪

 日本の政治史上、有名な「2、3位連合」で自民党総裁に当選し首相となった石橋湛山は、病を得て就任からわずか40日後、ジラード事件発生翌日の1月31日に総裁選で敗れた岸信介外相を首相臨時代理に指名した。

岸信介元総理。1987年に90歳で死去 ©文藝春秋

 2月25日に正式に首相に就任した岸は東南アジア歴訪に続いて、重要な日米首脳会談のための訪米を控えていた。そのカウンターパートであるアイゼンハワー大統領は5月22日、記者会見で「ジラード事件には注目している」と述べたうえ「アメリカの市民に誤った法の適用が行われないよう国務、国防総省とも努力している」と語った。事件は発足間もない岸内閣の外交・安全保障上の難問になっていた。

 また、また、大統領の発言には「国務、国防省鋭く対立」(23日付読売夕刊自社特派員電)という事情があったとみられる。記事は「国務省側では、事件は公務(時間)中だが休憩中のもので、公務外で起きた事件との解釈をとり、日本側への引き渡しを支持する傾向にある印象を受ける。一方、国防総省はあくまで休憩も公務中という解釈をとり、米軍側、すなわち軍法会議に付すことを主張している」と指摘した。

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当時のアメリカ大統領だったアイゼンハワー

 事態は「日米とも対策に苦慮 政治問題化す」(24日付上毛朝刊)となったが、検察は「訴訟手続き進める」(23日付朝日朝刊)、「政府、当面は静観」(24日付読売朝刊)。それでもアメリカでの動きは続く。24日付朝日夕刊社会面には「UPI=共同」のベタ記事が。「ジラード三等特技兵の出身地であるイリノイ州議会は23日、ジラードの日本官憲への身柄引き渡しに反対する決議を行った」。

 実はこのころ、海外に派遣されたアメリカ軍人の犯罪が問題になっていたのはジラード事件だけではなかった。5月25日付上毛朝刊には「裁判のやり直し要求 全市に戒嚴(厳)令()く」という台北発UP=共同電が載っている。

 これは「レイノルズ事件」と呼ばれ、ジラードの裁判権が日米合同委の議題になっていた1957年3月2日、台湾へのアメリカ軍事顧問団の一員であるレイノルズ軍曹が、妻の入浴を盗み見たとして中華民国の官吏の男を射殺した事件。アメリカと台湾の間で地位協定は締結されておらず、レイノルズはアメリカの軍事裁判で正当防衛が認められ、5月23日、無罪に。

台湾でもアメリカ兵の事件に強い反発が起きた(上毛)

 これに憤激した台湾のデモ隊がアメリカ大使館を占拠するなどして騒いだ。5月27日付上毛朝刊はワシントン共同電の「アジア各地で嫌われる駐留米軍 米政府も頭悩ます」という記事を載せている。アメリカにとって、軍の駐留国との関係を悪化しかねない難題になっていた。(後編につづく

「アジア各地で嫌われる米軍」(上毛)
次の記事に続く 46歳主婦を撃ち殺すも「ヒーロー」と…「これでは無罪と同じ」日本中が怒りに沸いたジラード事件の結末が“物語るもの”

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