『昭和天皇の敗北』――目を引くタイトルである。これで本書を買いたくなる。
ところで、本書が対象とする昭和天皇の「聖断」をご存じだろうか。歴史に詳しい方ならば、アジア・太平洋戦争の敗戦時におけるポツダム宣言受諾時の2回の「聖断」(1945年8月9日と14日)でしょ、と言われるかもしれない。
しかし、本書で描かれる昭和天皇の「聖断」は、ポツダム宣言の時のものではない。3つ目の「聖断」である。敗戦後、占領軍であるGHQから日本国憲法案が日本政府に提示された。昭和天皇がこれに対して、「やむを得ない」という趣旨の発言をした。こうして敗戦後、天皇は「象徴」となった。敗戦後のこの「聖断」も、現代の私たちに広く浸透している。
ところが、小宮氏はこれを「聖断神話」と断じ、様々な史料を駆使して、その「神話」を突き崩していく。本書はその過程が、まるでパズルを組み立てるかのように鮮やかに、ミステリー小説の謎を解いていくかのようにスリリングに描かれる。
いやしかし、敗戦後の日本国憲法制定過程やその時期の前後の昭和天皇の動向と言えば、これまで歴史学や政治学などの研究対象に散々なってきた。それだけに重厚な研究がそびえ立っている。小宮氏はそれに対して、新史料などの検討を通じて果敢に立ち向かう。むしろ、従来の研究にバッサリと切り込んで、「聖断神話」を解体している。評者も切られたうちの1人であるが、意外にイヤな気はしなかった。それは、本書に説得力があるからだろう。
昭和天皇は積極的に動いていた。日本国憲法制定以前には、日本型の立憲君主制を模索した内大臣府による憲法改正案を高く評価していた。GHQ案が提示された後も、帝国議会での審議に入る前、貴族院議員などに対して、「聖断」とは異なる天皇の意向が伝えられた。むしろ天皇は「元首」としての地位を確認しようとしていた。「象徴」には納得していなかったのである。
しかし、帝国議会の審議は天皇の思うようにはならなかった。GHQの意向が示され、天皇の希望は叶えられなかったのである。昭和天皇は「敗北」した。
けれども、昭和天皇はここで単に「敗北」したわけではなかった。「元首」としての役割にこだわり、その拡張を目指した。イギリスのキングをモデルにした動きを見せたことを、本書では新史料『昭和天皇拝謁記』を使って示している。結果、解釈のなかで「元首」化する方向性が定着していく。
昭和天皇がGHQ案を受け入れたという「聖断神話」を作ったのは、幣原喜重郎総理大臣だった。それは、「象徴」を受け入れた「聖断」を強調することで、天皇を守る意図があった。さらに、「聖断」は政府による憲法改正過程を正当化することにもつながった。
戦後80年の今年、何があったかを知るためにも読まれるべき本であろう。
こみやひとし/1976年、福岡県生まれ。青山学院大学教授。専門は日本現代史・政治学。著書に『自由民主党の誕生』『語られざる占領下日本』、共著に『自民党政権の内政と外交』、共編に『河井弥八日記 戦後篇』(全5巻)『山川健次郎日記』などがある。
かわにしひでや/1977年、愛知県生まれ。名古屋大学大学院人文学研究科准教授。近著に『平成の天皇と戦後日本』『皇室とメディア』。
