今回取り上げるのは、大きさの違う十字模様をちりばめたシンプルな平面構成画です。このような抽象画に出くわすと、どう受け止めればいいのか困惑する人も多いのではないでしょうか。この作品の凄さがどこにあるかというと、簡潔な要素だけのフラットな構成にも関わらず、複雑な奥行と輝くような印象を感じさせ、タイトルにある「宇宙の織りもの」というダイナミックなイメージが出来上がっているところです。
1992―1995年 テンペラ、アクリル・カンヴァス 赤・青・緑・黄色の4色に塗り分けられている4つの直線は、上下と左右が補色の関係になっています。そして、淡色の十字と重なる部分は、隣接する直線のいずれかの色になっています。また、原色ではない淡い色使いは障子越しの光のような柔らかさがあり、これらの色の動的な均衡も、画面全体のダイナミズムに繋がっています。
作者の吉川静子(1934―2019)は主にスイスで活動し、チューリヒ・コンクレートという厳格な幾何学的表現を追求した美術グループの第2世代とされます。彼女の作品は日本的なものを織り込んで独自性を打ち出した点でも高く評価されていて、本作にはその特徴が特に強く表れています。
まず、本作の幻惑するような奥行感覚はどう表されているのか見てみましょう。遠近感は十字のサイズが様々であることや、色の濃淡によって与えられています。一見、濃色の十字が手前、薄色の十字が奥にあるように感じられます。しかし、薄い十字と濃い十字が重なった部分の配色によって、濃色と淡色を単純な手前・奥の関係として見えなくさせているのです。このような工夫から、どこに軸を置いて見るかで遠近感が瞬間ごとに入れ替わるような複雑さが生まれています。
次に、輝くような印象は、大小の十字は光の瞬きのように、そして淡色十字が濃色十字の残像のように解釈できるところから生じます。しかも、十字の交差部分は白く抜いてあり、光の記号表現に見えることもその印象を補強します。
また、全体の宇宙を感じさせるダイナミックな動きは、左右非対称で流動的な構図が生み出しています。丸い画面は中央に何かを配置すると安定した静的な印象になりがちな特性がありますが、本作はモチーフを流れるようにリズミカルに配置しているため、動的になっています。そのため、十字が丸い枠にとらわれずに広がり出ていくような遠心性、自由さを感じさせるのです。さらに、大小の十字が互いにつかず離れずの関係にあることで、余白部分に様々なサイズの四角形が暗示され、鑑賞者は瞬間ごとに無数の四角形のパターンを見出すような効果があることも、躍動感に繋がっています。
十字模様はシンプルだからこそ、宇宙レベルでは星々を、身近なものでは織物の織目や画素の粗い画面まで連想させる力があります。吉川は十字を無限に生滅し続けるように描くことで、一つの意味に限定されない普遍的なエネルギーを瞑想的に感得させる絵画を作り出しました。
吉川の流動的な構成と、削ぎ落とした表現で深淵な世界観を示す手法は、日本的な情緒や枯山水のような禅的な精神をうかがわせるものです。チューリヒ・コンクレートは数学的に厳格で象徴性を排す傾向がありますが、吉川はその形式を生かしつつ表現の可能性を押し広げ、東洋的なものや、さらに広範な文化的記憶へと架橋したのでした。
INFORMATIONアイコン
「Space In-Between : 吉川静子とヨゼフ・ミューラー=ブロックマン」
大阪中之島美術館にて3月2日まで
https://nakka-art.jp/exhibition-post/sib-2024/
