4/6ページ目
この記事を1ページ目から読む
もしかして食べたせい? 栄華を極めた三島は明治に廃れ…
かくして栄華を極めた三島だったが、明治時代に入るといったんは廃れてしまう。
というのも、近代日本の基礎を担った鉄道が、三島を素通りしたからだ。明治初期に建設された現在の東海道線は、御殿場経由のルートを選んでおり、三島は鉄道に恵まれずに衰退してしまった。
ところが、三島の人々はただ町が廃れていくのを良しとしなかった。
明治の後半、1898年に豆相鉄道というローカル私鉄を通す。現在の御殿場線下土狩駅(当時は下土狩駅が三島駅を名乗っていた)を起点とし、三島広小路を経由して伊豆半島へ。現在の伊豆箱根鉄道駿豆線だ。
この豆相鉄道建設にあたって、三島の人々は土地の無償提供をしたというから、鉄道にかける思いやいかばかり。
さらに1906年には広小路から沼津に通じる軌道線(路面電車)も開通し、ようやく三島も鉄道ネットワークの一端に組み込まれることになった。
このように、三島における鉄道の整備は、旧東海道の宿場町に近い広小路が拠点になっている。現在の三島駅は1934年に開業するのだが、それ以後も町の中心は広小路を中心とする旧東海道沿いであり続けた。
これは、都市としての玄関口である現三島駅の開業がだいぶ遅れたこと、そしてそれに先だって建設された鉄道が広小路をいわば三島のターミナルとしたことが関係しているのだろう。


