九州男児の深浦に、なぜ齊藤が入門したのか?
井上門下が多士済々で多くの俊英が集まる場所としたら、齊藤が属する深浦康市九段一門は少数精鋭といったところか。深浦門下の棋士は、齊藤と佐々木大地七段の2人で、他には奨励会に1人の会員がいるだけである。これは深浦九段が首都圏ではなく地方在住のプロ志望者に門戸を開いているという事情もあるだろう。
とはいえ、九州男児の深浦になぜ齊藤が入門したのか(齊藤は北海道札幌市出身であり、北海道ゆかりの棋士は多い)、師匠に話を聞いてみた。
「当時の佐世保の支部長と齊藤がネット将棋でつながっていたので、その縁で紹介されました。入門前に直に会ったかどうかは定かではありませんが、奨励会入会後、齊藤が中学1年生の時に会いましたね。それ以前に年賀状では自作の41手詰めが送られてきたこともあり、挑戦状を送ってくるような子どもだな、と(笑)」
齊藤が故郷の札幌を離れて上京したのは高校卒業後。自身は遅めの東京入りだったと振り返っている。地方在住の奨励会員にとって苦労するのは、練習相手の確保だ。ただでさえ首都圏あるいは京阪神在住の棋士・奨励会員が多いうえ、地方在住をハンデと考えて都市部に出てくるケースが多いため、余計に差が出てくる。「私から、齊藤の地元の強豪に練習相手を打診したこともありました。それでも棋力が伸びず、早く東京に出てこないかと誘いましたね」と深浦九段。
「ようやく報われたというのが正直な気持ちですね」
地方からの上京という意味では、兄弟子である佐々木七段(長崎県対馬市出身)もそうだが、「20歳で四段になった大地と違って、彼は苦しい時期が長かった。生活の面でもちょくちょくと相談を受けて、改善していきました。東京に来てからも練習相手を推薦し、二人三脚でやってきました」と師匠は言う。
それでも、弟子の年齢制限が迫ってくると、本人もそうだが、師匠の心理的プレッシャーも大変なものだろう。深浦九段はこの時期について、齊藤本人よりも、母親と連絡のやり取りをするのがしんどかったと振り返る。
「私と接する時間が多くなったので、あえて練習将棋をやめて、彼と同世代の人と接するようにと勧めましたね。それから勝ちが込んできた時期は、自信もあるんだなと見ていました。ただ、今期はなかなか決まらないのでやきもきしていました。何とか好調を維持してくれないかと。ようやく報われたというのが正直な気持ちですね。奨励会で苦労しましたが、新しい扉を開けたことで、のびのびとやってほしいです」
若くして四段昇段を果たした棋士のほうが高い評価をされがちな世界だが、現行の三段リーグで17勝はなかなかできることではない。この数字を見て「すでに順位戦B2くらいには強いのでは」と推測する棋士もいる。
最年長四段と現役最年少、三段リーグ卒業者としては対照的になった2人だが、等しくこれからの活躍に期待したい。
写真=相崎修司




