「カタギ」になっても、いじめられてまたガード下に戻ってくる

 お時の言う「姉さん」というのは「夜嵐あけみ*」と呼ばれる「女ボス」のこと。「美貌と胆力と機才に恵まれた彼女は、さらにすごく金払いのいいパトロンを見つけたことによって、いつとはなく親分に祭り上げられていった」と「好色東京地図 淪落のモデルノロジイ」(「旬刊ニュース」1947年9月号所収)にある。

*「アケミ」とする表記の資料もある

 藤倉アナは録音を締めくくろうと、「あなたの力で、ここの娘たちを救うことはできませんか?」と聞くと、お時は食ってかかって答えた。

ADVERTISEMENT

 あんたたち、えらそうなこと言ったって、この子たちのために何をしたっていうのよ。そりゃあパンパンは悪いわ。だけど、身寄りもなく職もないあたしたちは、どうして生きていけばいいの? 好きでさ、こんな商売している人なんて、一体何人いると思うの? それなのに……。

 

 苦労してカタギになって職を見つけたって、世間の人は「あいつはパンパンだった」って後ろ指を指すじゃないか。あたしは今までにだって何人も、ここの子たちをカタギにして、世間に送り出してやったわよ。それがみんな……(悔し泣きの涙声になって)、いじめられ、追い立てられて、また、このガード下に戻ってくるじゃないの……。世間なんて、いいかげん。あたしたちをバカにしきってるわよ。

「GHQ本部前に立つ夜の女」とされるが……(「サン写真新聞」より)

「ガードを渡る電車の轟音にかき消されまいと、叫ぶような声であった」と「こんな女に誰がした」は書く。はじめのころの「本当に生活に困ってやっている人は少ないんじゃないのかしら」という言葉は虚勢だったことが分かる。

 音源は公開されておらず、これ以外にも藤倉は「考へさせられる彼女達」に内容を次のように書いている。

 だけど、こんな生活を3年も続けたら、もう決して救われないわネ。病気にはなる。サツには挙げられる。だんだん箔がついてくると、もう一生かたぎにはなれないんだという気がしてヤケになるのネ。かわいそうなのよ。本当は寂しいんだからネ。だから、いつでも大勢集まって虚勢を張って騒いでいるのよ。

放送後の反響は大きかったが……

「NHKアーカイブス」などによれば、『街頭録音』は、敗戦日本の占領統治に当たったGHQのCIE(民間情報教育局)が指導した番組。「マイクの解放」によって人々の声を放送し、「放送による日本の民主化」を図る意図があった。最初は『街頭にて』のタイトルで敗戦から約1カ月半後の1945年9月末に第1回を放送。『街頭録音』に名前を変えた1946年6月3日の放送は「貴方はどうして食べていますか」がテーマの30分だった。

『街頭録音』収録風景。帽子を被った人物が藤倉修一アナか(「サン写真新聞」より)

 そしてこの「ガード下の娘たち」は「青少年の不良化をどうして防ぐか」がテーマだったが、プロデューサーを兼ねていた藤倉は「大東京のど真ん中である有楽町駅付近に、夜ごと妖しい花を咲かせるパンパン娘がたむろしていることは隠れのない事実である以上、そのありのままの姿を伝えることは決して罪悪、邪道ではない。いや、むしろ世のため、親のために必要だとさえ思ったので、思い切って録音することにしたのである」と放送直後の「放送文化」1947年5月号で述べている。