「自分は姉様のことを、倒れても起き上がるヒーローみたいに思っているところがありました。ウルトラマンはまた立ち上がってくれると、勝手にヒーロー像を重ねていたんです。『奨励会を辞める』って聞いたときは、『続けて!』と言いたかった。でも、最前線で戦ってきた方がそう言うなら、止められない……。本当にお疲れ様でした、そんな気持ちでした」

 将棋棋士四段――。棋の道を志した者にとって、それがどれほど高い頂であることか。子どもの時から才能をうたわれ、将来を期待された者たちが、どれだけその壁に挑み、消えていったことだろう。

 奨励会の前身組織ができてから今年で97年になるが、これまでそこに入会できた女性は21人しかいない。昭和後期に女流棋界を支えた林葉直子(元クイーン王将)や中井広恵(現女流六段)らも在籍したが、それぞれ4級と2級が最高位だった。

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里見香奈の功績

 女流のトップであっても、奨励会で初段になれないという現実。女流棋士は純粋に将棋を見られるのではなく、イベントの彩として扱われた。林葉は14歳、中井は16歳で女流タイトルを獲得したが、指導対局でアマチュア高段者の男性から、「私が駒を落としてあげようか」と言われたことが何度もあったという。「女は弱い」という見方が否応なくついて回った。

 現行規程で、女性で初めて初段に上がったのは里見香奈だった。そして約2年後の2013年には三段昇段を果たした。里見は奨励会入会前に女流棋士としてデビューしており、女流タイトルを複数保持しながら、奨励会の対局を並行して行った。それは体力的にも精神的にも並大抵のことではなかったと思われる。三段リーグは最初の3期を体調不良により休場し、その後に26歳の年齢制限まで5期出場したが、勝ち越しはなかった。

 だが、里見が奨励会の最高位まで昇ったことは、女流棋士への認識を大きく変えた。また、奨励会と女流棋士の重籍が再び認められるようになったのも里見がきっかけだった。その意味でも彼女が切り拓いた道の功績は大きい。