宮嶋は小学4年で奨励会に合格した。これは渡辺明九段や藤井聡太七冠、佐々木勇気八段らと同じで、棋士になった者の中でも早い入会である。天才小学生と呼ばれて、テレビのクイズ番組などにも出演した。しかし、その半年後に成績不振により退会になってしまう。
「もともと、受験の雰囲気だけでも経験したいと思って受けたのが、まさかの合格をしてしまった。実力不足が大きかったと思います」
“元奨の小学生名人”
脚光を浴びた存在からの転落は、10歳の少年の心に大きな痛みを与えたことだろう。だが、宮嶋の将棋への気持ちが冷めることはなかった。奨励会員であったなら出場できなかった小学生名人戦で、6年のときに優勝を飾る。“元奨の小学生名人”という珍記録を作った。そして同年に研修会からの編入で、奨励会に再入会を果たした。
「当時は同世代の中ではトップを走っていたと思うのですが、その後の昇級は決して早いペースではなかったです。どんどんおいていかれてしまった。同世代に抜かれ、3歳下の藤井(聡太・現七冠)さんにも抜かれて」
中学3年の冬に初段になったが、そこから高校3年間は一度も昇段できなかった。
「将棋は楽しいという思いで、ずっと続けてこられた。それでもこの時期には、何度も止めようと思ったことがありました」
卒業が近づいた頃には、なんでもいいから別の生きる道を探そうと思った。両親は息子の意思を尊重して、好きなようにやりなさいと言ってくれた。周りと同じように進学も考えたが、受験勉強に踏み切れなかった。地元の岐阜にとどまりながら将棋の勉強をすることを選んだ。
「結局、やめるのが怖かったんですよね。今までやってきたものを否定されたくないから、続けるしかなかった。明るい未来が見えているわけじゃないけど、もうやめられない。決心をつける段階まで行けないんです」



