戦友たちへのリスペクト
藤井聡太が中学2年で棋士になったとき、3歳上の宮嶋はまだ初段だった。奨励会時代には記録係を多くやったが、中でも藤井の対局は希望してできる限り取った。
「記録係は感想戦に入りにくい部分があります。藤井さんは自分にとって、終わった後に気になった変化を一番聞きやすい存在でありました。同世代の服部君(慎一郎七段)や岡部君(怜央五段)の記録はやはり敬遠しがちというか、取りたくないというのが本音です。記録席に座っているのが不甲斐なくて、早く棋士にならなければと思った。でも藤井さんは早くに突き抜けてくれたことで、そういう気持ちにならなかったというか、素直に強さを受け入れられました」
藤井の順位戦の記録を取った日には、お互いに終電に間に合わない。将棋会館4階の水無瀬と錦旗の部屋に泊まって話すこともあれば、棋士室で徹夜することもあった。宮嶋は藤井の兄弟子である齊藤裕也四段とも仲が良いことから、現在も3人で食事をしたりする関係だという。
「孤高ではないですけども、天才は一人ぼっちになってしまうような部分はあると思うんです。私から藤井さんへの尊敬の念はありますが、昔と変わらずに接して、話しやすい存在であればと思っています」
宮嶋は三段リーグ8期目に、15勝3敗の1位で四段昇段を果たした。24歳でのプロ入りは、小学4年で最初の奨励会入会から14年の歳月を要した。その間、挫折を何度も経験し、自分の勝負師としての弱さと向き合ってきた。それでも将棋への情熱が薄れることはなく、戦友たちへのリスペクトを持ち続けた。宮島の話を聞きながら、純粋な心の人だなと思った。
西山リードで迎えた終盤戦
局面は西山リードのまま、終盤へと向かう。将棋は、優勢であっても中盤から終盤にかけての判断が本当に難しい。焦らずにリードをじっくり保つべきか、それとも一気に勝負を決めにいくか。どちらの判断にも、小さなミスで形勢が逆転するリスクが潜む。
(西山さんなら来る)



