藤井の粘りと桂で形勢逆転
だが、藤井も巧みに粘る。右金を玉に近づけ、飛車も守りに参加し、決め手を与えない。AIによる評価値上は永瀬がリードを広げているのだが、最善を指すのが難しい局面になっていた。
検討では意見が何度も分かれた。それを皆ですり合わせて最善手にたどり着くことを繰り返す。だが、永瀬は誰の意見も聞けず、一人で藤井の粘りを突破しなければならない。
21時30分が過ぎ、時間の都合で大盤解説会も決着を待たずに終了となった。控室に戻ってきた佐藤は「永瀬さんもつらいですよね」と心情を慮った。
そして、逆転のきっかけはまたも「藤井の桂」だった。93手目、9二にいる香取りに桂を打ったのがひねった一手。桂と香を交換するのは得ではないが、これで後手の飛車が働かなくなった。そして入手した香を馬取りに打って追い払う。さらに6筋に歩を打って馬の利きを止めたのが好手で、控室の空気が変わった。藤井猛は「第2局では9二香がたたったけど、本局もちょっと気になるね」と呟いた。
「すげえなあ。魔術が出たねえ」
この歩を取るか、取らないか。永瀬の決断は歩打ちを無視して玉を早逃げする手だった。だが藤井がと金を作り、そのと金を引いて、流れは変わった。
働きの悪かった藤井の飛車と角が絶好の位置にいる。藤井猛は「永瀬さんがだんだんいやらしい手が指せなくなっている。そういうことも含めて物語ができていますねえ」とため息混じりにつぶやいた。佐藤や斎藤も「あの将棋が逆転するのか」と驚きを隠せない。とはいえ、両者ともに時間がない。
残り2分となった永瀬が角銀両取りに金を打ち、22時40分、藤井が1分将棋になった。皆が固唾を飲んで見守る。時間がないし角を逃げるのかと見ていたが、藤井は馬取りで天王山に桂を叩き込んだ! 控室に歓声が上がる。千田が最善ではと言っていた手だ。「さすがだねえ」と私が言うと、藤井猛も「すげえなあ。魔術が出たねえ」と応じた。皆が興奮している。
藤井は永瀬の馬を強引に盤上から消した。この取り合いで銀損したが、手番が回ったのが大きい。藤井はさらに控えの桂を打ち、寄せに入った。気がつけば藤井陣に遊び駒が1枚もいない。1九の香ですら詰みに役立っている。いつもながら藤井の駒はなんてきれいなのだろう。藤井聡太がなぜ強いか? それは1分将棋でこの手順を指せるからだ。



