藤井が掴んだ駒はまたも桂
永瀬も1分将棋になり、銀を打ち込んで寄せ合いに持ち込む。しかし151手目、玉を包み込むように銀を打たれ、先に永瀬玉に詰めろがかかった。だが藤井の表情は厳しい。玉の上にある金がマス目からはみ出しているが、それを直す余裕がない。永瀬は桂の犠打で包囲の銀を動かして詰めろを解除し、逆に詰めろをかけた。控室の温度が上昇している。空気が薄い。藤井はどうやって仕上げるのか?
やがて藤井が掴んだ駒はまたも桂だった。161手目、自陣下段への桂打ち。うまい! これぞ実戦的な手だ。8七へ利かして詰めろを消すとともに、7九のマス目を埋めることで△7九角の王手を消した。角を渡してもいいならば寄せるのは楽だ。声にならない感嘆の声が漏れた。この将棋で藤井は4回、持ち駒の桂を打った。そのすべてが効果絶大だった。
そこからさらに10手後、永瀬が投了。
終局時刻は23時16分と藤井の名人戦で一番遅い終局だった。4勝1敗で名人を防衛し、3連覇を達成した。本局、千日手局が77手、指し直し局が171手、合わせて248手という長編ドラマだった。
感想戦と棋士たちの思い
局後のインタビューを終えて、感想戦に入る。指し直し局だけだろうと見ていたら、なんと千日手局から始まった。おいおい、あと20分足らずで日付が変わってしまうぞ。
そんな周囲の不安をよそになごやかに感想戦は続き、対局室に永瀬の笑い声が響く。困ったのは立会人である。この後、藤井には名人防衛の記者会見が控えているので、すみやかに終わらせなければならない。とはいえ千日手局の検討が終わる気配がない。
日付が変わる直前、藤井猛が、「あの、指し直しのほうの感想戦を……」と言って、ようやく指し直し局に移った。藤井も永瀬との対話が楽しくなったのか、0時15分には駒をクルクルと回しはじめた。そして20分頃、6筋に歩を打った局面になる。藤井は歩を取られたら「手がないと思った」と言うと、永瀬は「手がないんですか、そうですか。ここが急所でしたね」と悔しそうにつぶやく。藤井猛も千田も斎藤も、正座を崩さず見つめている。いつもの口頭感想戦になってから、再び駒を動かし始める。とても楽しそうだ。
ふと先日の、王位戦挑決後の食事会での会話を思い出した。私は永瀬に「藤井さんと戦っているにもかかわらず、他の棋戦で勝っているのはさすがですね」と言った。藤井とタイトル戦を戦った棋士が、その後、調子を崩すケースが相次いでいるからだ。だが永瀬は王位挑戦、竜王ランキング戦2組優勝と、各棋戦で勝ちまくっていて、むしろ調子をあげている。すると永瀬は一言「目的が違いますから」と言って笑った。





