ほぼ並行して行われていた藤井聡太名人対永瀬拓矢九段の第83期名人戦七番勝負では、事前研究が勝負に大きな影響を与えたが、叡王戦では力で勝負するような展開が中心となっている。本局、私が注目したのは盤上ではなく音だ。駒音が高かったのである。普段は2人ともさほど駒音は高くないのだが、この日は絶対に負けられないという感情が指し手にこもっているようであった。

 伊藤が29手目に玉を上がった手は「ピシリ」と良い駒音を響かせた。それは斎藤も同様で、専務理事として控室にいた脇謙二九段が「どっちも気合いが入っているなあ」とつぶやき、立会人の屋敷伸之九段も私も深くうなずいた。将棋は秒読みで30手以上も続くねじり合いとなり、斎藤が制した。

勝負はともに2勝2敗、決着は第5局に

 感想戦終了後に伊藤と少し話をした。先手番を落としたものの、表情は暗くなく、力を出し切ったという顔をしていた。

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 石川県加賀市「アパリゾート佳水郷」で行われた第2局は斎藤先手。相掛かりで、両者バランス型の持久戦となった。この将棋は伊藤が底力を見せて快勝した。

 再び名古屋市、「か茂免」での第3局、先手の伊藤がまたも相掛かりに誘導した。斎藤優勢で終盤戦に突入したが、伊藤が9三に成った香を自陣8六まで引き付けるという粘り腰を見せる。この成香が攻守に活躍して逆転勝ちを収めた。伊藤は成香をなんと8回も動かしたのである。

 第4局は千葉県浦安市「ハイアットリージェンシー東京ベイ」で行われ、私は現地に行った。これまで相掛かりシリーズであったが、カド番の斎藤は意表の角換わり早繰り銀を採用した。だが伊藤はちゃんと研究手で返した。中盤、両者長考合戦となり、立会人の佐藤康光九段が「難しい。一手一手が重いですね」というほど難解な将棋であった。斎藤優勢から伊藤が巧みに粘ってもつれるが、最後は斎藤が鋭い寄せを決めた。ともに2勝2敗、五番勝負はフルセットに。

 そして決着の第5局が、2025年6月14日、千葉県柏市「柏の葉カンファレンスセンター」で行われた。