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いつ御殿場は栄えはじめた?
古の御殿場には、古代の東海道が通っていたという。江戸時代の東海道は箱根の山の中を抜けているが、それ以前は箱根山の北側を通る足柄経由がメインルートだったのだ。
いまの道路交通の大動脈たる東名高速道路もそちらを通っている。古代道路と高速道路は類似性がよく指摘されるというが、ここもまたその例のひとつというわけだ。
江戸時代に入って新たな東海道が整備されてからも、足柄・御殿場経由は矢倉沢往還として人の往来が保たれた。
そうした背景もあって、江戸時代初期には徳川家康のための御殿御茶屋(休憩所)が設けられている。これが「御殿場」の名の由来だ。
大御所として駿府(静岡)に暮らしていた家康が、江戸と行き来するときにこの道を使っていたのだろうか。
明治には近代都市として飛躍
そんな背景を持つ御殿場は、明治に入ると近代都市としていち早く飛躍する。1889年に東海道線が開通し、御殿場駅が開業したのだ。
同時期には富士登山の御殿場ルートが開かれ、一時期は山梨との県境付近までの馬車鉄道も走っていた。馬車鉄道は戦前に廃止されているが、いまでも廃線跡が「馬車道」の名で道路として残っている。
新橋、銀座、馬車道とはなかなかハイカラな御殿場だが、ともあれこうして御殿場駅を中心に市街地が形成されたのだ。
ところが、1934年に運命が一変する。



