30年近くメディア企業で“社畜人生”を続けた男性はなぜリストラされた後、資産2億円超の富裕層の仲間入りを果たすことができたのだろうか。『投資で2億稼いだ社畜のぼくが15歳の娘に伝えたい29の真実』より一部抜粋し、その方法をお伝えする。(全3回の1回目/#2を読む#3を読む

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「会社はあなたを必要とは思っていません」

 30年近く続けた社畜人生が、たった一言で終わるとは思ってもみなかった。

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「東山さん、会社はあなたを必要とは思っていません」

 目の前に座るぼくより年上の男は言い放った。知らない仲ではないのに眼鏡の下の表情は一つも変わらない。

 ぼくの頭の中で、いろいろな思いがぐるぐると回った。

 2019年秋の昼下がり。ぼくは勤務先の都心にある、古いビルの暗い地下室に会社の幹部から呼び出された。壁を一枚隔てた先にはレストラン街があり、会社員らがランチを楽しんでいる。だが、ぼくは暗闇の中に狭い部屋が並ぶ一角にいた。外部から閉ざされ、おそらくこのビルの中で一番暗い気持ちになっていた。

 リストラ(早期退職)の対象になったのだ。

 勤務先のメディア企業では、業績不振から早期退職募集が発表された。出世街道から外れていたものの専門的な分野があり、副部長という立場で仕事を任され、専門分野の共著を出すなど実績はあった。すでに面接に呼ばれた他の同僚と違って、評価されているのではとの甘い見込みもあった。

社畜生活を30年近くも送ってきた

 そもそもぼくの会社員人生は社畜と言ってもいい。株式バブルは崩壊したとはいえ、採用はまだ緩かった。1991年に入社したころは、「24時間戦えますか」がスローガンの世界。大手メディア企業に入社したというだけで、天下をとったような大きな気分になれた。

写真はイメージ ©beauty_box/イメージマート

 当初は同僚と一緒の部屋に住まわされ、午前7時から深夜0時まで働いた。最初の2週間は無休で、ようやくもらえた休みの日も、仕事に活用できるような休みにしろという無理難題。メディアという仕事上、そうした生活はずっと続き、副部長になっても正月もゴールデンウィークも関係なく、週2回は午前7時まで働かなければならなかった。

 幸い、ぼく自身は無理な上司に当たらなかったし、途中から自分のペースを覚えたから大病はしなかったけれど、周囲には心身を壊した人が何人もいる、まさに社畜生活を30年近くも送ってきた。それだけ会社に尽くしたのだから、会社も無慈悲なことはしないだろうという淡い期待があった。