日本で生まれ、中国、ハワイ、LAと渡り歩きながら国際社会をサバイブしてきたインフルエンサー、Yunaさん。過酷な差別や母親との確執を乗り越え、現在は自身の経験を糧に発信を続けている。

 言葉も通じない異国の地で、彼女はいかにして逆境のなかで「武器」を見つけてきたのか。その半生と、外から見た日本社会への本音について聞いた。

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入学早々いじめの対象に

――Yunaさんのご両親は中国の方でしたよね。日本でお生まれになって、6歳で中国へ渡ったとか。いきなり中国の学校へ通うのはいろいろ大変そうですが。

Yunaさん(以下、Yuna) そうなんです。父と母は事実婚で、異母兄弟が6人いて……という複雑な家庭環境については以前お話しした通りなのですが、私が6歳で中国へ渡った直後は本当に地獄でした。

 日本で生まれた私は、父の仕事の都合で6歳で中国に行くことになったのですが、 中国人同士の子どもとはいえ、はじめのうちは中国語を話せませんでした。学校はクラスの1割くらいが外国から来ていましたが、日本から来たのは私だけで。日本から来たことは知れ渡っていたので、入学早々いじめの対象になりました。

Yunaさん

――具体的にどのようなことをされるのでしょうか。

Yuna 思い出すのは、普通に列に並んでいるだけなのに「日本へ帰れ」と言われたことですね。それから、グラウンドを歩いていて「ri ben gui zi!」とか……。

――「ri ben gui zi」とはどういう意味でしょうか。

Yuna 漢字で書くと、「日本鬼子(リーベングイズ)」となります。つまり、“日本人は野蛮なやつ”という蔑みの言葉なのでしょうね。私が日本人ならば百歩譲って理解できるとしても、「中国人なのになんで言われるんだろう」と思っていました。言語は努力で習得できるとしても、日本で出生した事実は私には変えられません。そうしたもので差別されていくことに、無力感を感じました。

――クラスに味方はいない状態が続くのでしょうか。