あ~ちゃんが断ったソロ契約という分岐点
3人は中学3年になった2003年春に上京、芸能事務所のアミューズに所属する。アミューズ傘下の新人女性タレント育成プロジェクトBEE-HIVEの一員となり、女子寮で共同生活を送った。この年8月、BEE-HIVEレコードから「スウィートドーナッツ」をリリースするにともないPerfumeに改名し、サウンドプロデューサーに中田ヤスタカを迎えた。
じつはこの少し前、あ~ちゃんはあるレコード会社とソロのアーティストとして契約する話が進んでいた。一方で、Perfumeに対しアミューズとスカラーシップ(奨学金)契約ができるかもしれないという話も出ていたが、こちらはデビューが確約されているわけではなかった。それだけに彼女は《本当に、本当に悩みました。でも、歌やダンスの魅力に目覚めたのは、Perfumeを組んだことがきっかけだし、今どちらが楽しいか、それを考えたら、Perfumeだった。それでソロの道は諦めて、3人で頑張るほうを選んだ》という(『anan』2017年2月15日号)。
「MIKIKO先生でなきゃダメ」という意志
中田ヤスタカと並び、現在にいたるまでPerfumeを支え続けてきた大きな存在が振付師のMIKIKOだ。彼女と3人の関係は中田よりさらに古く、アクターズスクール広島時代までさかのぼる。3人が入学したとき、MIKIKOもダンス講師1年目だった。あ~ちゃんとかしゆかは彼女が別のスタジオで開いていたレッスンにも、小学生のときから通っている。のっちは1~2年ほど教わるのが遅かったので、いまにいたっても2人に対して身体の動かし方の感覚が違うと感じることがあるという。
じつは上京してから、振付師を替えると事務所から言われたが、3人はMIKIKO先生でなきゃダメなんですと訴え、認めてもらったという。当時、彼女はニューヨークにおり、しばらくは映像で指導してもらう。その後、MIKIKOはダンスの振付だけでなく、ステージの演出も手がけるようになり、Perfumeのため全力を注いできた。

