中田ヤスタカによるテクノポップに戸惑いがあったが…
そもそもインディーズ時代から中田ヤスタカに提供されるテクノポップにも、当初は戸惑いがあったらしい。3人の通っていた高校には、ほかにも芸能活動をしている同級生がおり、舞台出演が決まったりするたびポスターを先生に渡していた。だが、3人は自分たちのやっているテクノという音楽に抵抗があり、恥ずかしいと思っていたため、そういうことができなかったらしい。それがメジャー2枚目、「近未来3部作」の第2弾となるシングル「コンピューターシティ」(2006年)で、《「愛してる」という感情的な歌詞が出てきた曲でテクノの良さが分かってきて、みんなにも聴いてほしいと初めて思えてポスターを持っていったよね》と、後年あ~ちゃんは振り返っている(『anan』2017年2月15日号)。
「ポリリズム」をきっかけにブレイク
2007年、AC・NHK共同キャンペーンのCM「リサイクルマークがECOマーク」に出演、そこで使われたシングル曲「ポリリズム」が反響を呼んだのをきっかけにブレイクを果たす。当時のインタビューでこの先の目標を訊かれ、《『紅白』に出たいです! 出れるとは思ってないんですけど、言うことによってホントいろいろ叶っていったりするし、自分たちが「嘘だぁ」て思ってたことができてきてるので》(あ~ちゃん)と答えていた(『サブラ』2007年12月号)。この年の紅白歌合戦には、AKB48や中川翔子などが「アキバ枠」で出場、Perfumeもその枠で出場するとの噂もあったが、けっきょく実現はしなかった。
だが、翌2008年には全国ツアー、日本武道館でのコンサートを実現させたのに続き、紅白にもついに出場を果たした。とはいえ、初の紅白だからこそ、攻めの姿勢でアピールするのではなく、謙虚な気持ちで臨みたいとの3人の意向により、衣装も華々しさを前面に出すのではなく、ベージュのレースを基調とした奥ゆかしいものが用意された。

