国内初の「金賞」を取るも、売り上げは全く伸びず……

 ビール事業からの撤退も頭をよぎったが、何とか事業を継続できたのは「伊勢という名がつく以上、世界に通用するビールを造りたい」という思いがあったから。

 ビールが世界基準を満たしているかを判断するのは、国際的なビール品評会の審査員だ。審査員になれば、自社のレベルや評価基準が分かると考えた鈴木氏は、筆記試験と官能試験をクリアし、わずか2カ月で資格を取得。1999年にはわずか2人しかいない全米大会の日本代表審査員に選ばれた。

 鈴木氏は、審査員として世界基準のビールに触れたことで、自社商品との間に大きな差があることを痛感したと振り返る。ここで得た知見を自社の製造にフィードバックしながら、世界水準を目指していった。

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 そして2003年、ついに快挙を成し遂げた。オーストラリアで開催された「Australian International Beer Awards(AIBA)」で金賞を受賞。日本のクラフトビールメーカーとして初の金賞獲得でもあり、目標だった世界基準をクリアした瞬間だった。

 ところが、世界に認められても、変化は何も起きなかった。ビールの売り上げが全く伸びなかったのである。

8000リットルのビールを泣く泣く廃棄したトラブルも

「世界タイトルを取ったビールなら売れると思ったが、全く影響がなかった。そこで、問題は『商品』ではなく『経営』にあると気が付いた」(鈴木氏)

 世界から認められる商品があっても、経営が誤っていれば消費者には届かない。そこで、財務や経営戦略をいちから学び、考え方を身につけていった。そのかいあって2004年頃から黒字化の兆しが見え始め、2008年頃には安定した利益を確保できるように。金賞を取ってから約5年、ようやく伊勢角屋麦酒は「会社」として歩み始めた。

 経営が安定し始めた2009年頃、鈴木氏は再び酵母研究に取り組み始めた。2011年に三重大学大学院に入学、その後に博士号を取得。学術的な裏付けで技術力を高めた。2018年には最新鋭の設備を備えた新工場が稼働した。

2018年に稼働を開始した下野工場(同前)

 当時最新鋭のフルオートメーション設備を導入したのだが、思うように使いこなせずに製造初期は品質にばらつきが発生するトラブルもあった。基準に満たないビール、約8000リットルを廃棄したことも。

「お前たちはそんなレベルでビール造りをしていたのか!」「俺たちが目指しているのは世界一じゃないのか!」――鈴木氏の怒号が飛び交う中、膨大な水で薄めながら売れば1000万円近くになる量のビールを流す。「身を切られるぐらい痛かった」と鈴木氏は振り返る。その後、品質は安定し生産能力は従来の8倍に拡大した。