鹿島鉄道の“栄光”はいつ?

 鹿島鉄道が開業したのは、1924~1929年にかけて。大正の終わり頃から昭和初期に、鹿島参宮鉄道の名で石岡~鉾田間を開通させた。

 参宮鉄道という名からわかるように、最終目的地は鹿島神宮だった。それは実現しなかったが、沿線の農産物輸送などを担って活躍。1937年には百里に海軍の飛行場が開設されると、軍事輸送にも身をやつした。

 

 戦後、百里の飛行場は航空自衛隊の百里基地となる。そのおかげもあってか、1967年には年間300万人以上を運び、11万トンの貨物も扱っていた。百里基地に向けた航空自衛隊のジェット燃料輸送も担い、玉造町駅のひとつ先、榎本駅からはパイプラインが延びていたという。

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 タローが列車に乗り込んで石岡まで行ってしまったのも、この時代。乗り合わせた人たちや車掌さん、駅員さんはどんな思いでタローを見つめていたのだろうか。

マイカーとトラックに置き換えられ…

 しかし、1970年代から輸送量は激減してゆく。旅客輸送はマイカーに、貨物輸送はトラックに置き換えられた時代の必然である。

 

 この間、鹿島参宮鉄道から関東鉄道鉾田線となり、また独立して鹿島鉄道へ、と経営体制もたびたび移り変わっている。

 2001年にはジェット燃料輸送が廃止され、関東鉄道の支援でその後も存続はしたものの、それが2006年度で打ち切られると万事休す。2007年4月1日に鹿島鉄道は廃止された。

 

 それからたったの20年ちょっとで、廃線跡の一部はバス専用道に生まれ変わり、玉造町は「鉄道のない町」になった。タローのような忠犬が現れることも、もうなくなったのである。