ステージに向かって多くのベンチが並んでいる。これも遊園地時代からあるもので、当時はヒーローショーも行われていたようだ。但し、予算の都合でヒーローは一人しか呼ぶことが出来ず、スーパー戦隊であればレッドだけだった。そのためアトラクションを行うことが出来ず、握手会が中心だったそうだ。
少し離れた場所に“アンティックな音楽堂”という小さな東屋が建っていた。案内板によると、遊園地が開園した明治41年に建てられたもので、野外劇場などに音楽を流すために使われていたようだ。
屋根の上には風見鶏が取り付けられており、河南鉄道の社章が大きくあしらわれている。開園当時の建物が残っているというのは驚きだ。
野外劇場から上り坂をさらに進むと、周辺から移設された古墳や小林一茶の句碑、山頂付近には大坂夏の陣の慰霊塔などがある。ここは単なる公園ではなく、歴史的・文化的にも重要な場所であることが分かる。
目玉だった「日本一長い滑り台」はどこへ消えた?
半日かけて園内をくまなく散策した。しかし、遊園地の目玉であった「日本一長い滑り台」の痕跡を見つけることができなかった。そこで、玉手山の歴史に詳しい柏原市立歴史資料館館長の山根さんに現地を案内していただいた。
山根さんに付いていくと、山頂にほど近い携帯電話の基地局にたどり着いた。
その裏に滑り台があったようだ。これは、言われなければ絶対に発見できない。
現在は草木に覆われており、基地局の近くにある古びた柵と、滑り台一本分のなだらかな地形、山の斜面に落ちている数個のコンクリート片だけが、わずかに痕跡を留めている。
これで正解が分かったが、私はもう一箇所、気になる場所があった。





