イタコといえば「恐山」を連想する人は多いだろう。しかし、本来イタコは青森県の各地域に暮らす民間宗教者(カウンセラー)であり、恐山に常駐しているわけではない。

 では、なぜ「イタコ=恐山」というイメージが全国に定着したのか。

 ここでは、日本各地を旅し、民俗学的痕跡をたどる「道民の人」による『日本遠国紀行』(笠間書院)の一部を抜粋。昭和のオカルトブームやバラエティ番組の無茶振りにも応えてきた彼女たちの歴史と「虚像のイタコ」の誕生秘話に迫る。

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恐山 ©︎shima_kyohey/イメージマート

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死者の魂を呼ぶイタコの「口寄せ」

 イタコが死者の魂を降ろす技術……口寄せとは、あの世にいる死者の魂をこの世に呼び、その言葉を喋る。つまりは「霊媒」のような位置づけである。伝統的なイタコは、師匠より教わった技法と流れにのっとって、あの世から死者の魂を呼び出し、そして最後は再びあの世へ送り返す。最初は神仏の力を借り、死者に対してこの世へ降りてくるように頼む内容の経文が繰り返される。そのうち死者の魂が憑依したイタコの口から死者の言葉が伝えられ、満足した死者の魂はあの世へ帰り、イタコは神仏にまた祈り、口寄せは終わる。

 一連の時間は短くても30~45分はあり、長ければ1時間を超える。ホトケの語りは一人称による一人語りで、語られる内容は一定のパターンのもと構成されていて、会話はほとんど不可能である(イタコやその時の死者の気分によっては「訊きたいことがあれば言ってみなさい」などと言って、質問や会話を受け付けることもある)。

 魂を呼ぶにも一定の条件がある。基本的に「故人の命日」さえ分かれば可能である(後に登場する中村タケさんの場合は、故人の住所や名前を必要とする)。ほかにも、亡くなったばかりの霊を呼び出すことは躊躇われ、死後100日といった制約が設けられている。

 また、客とまったく関わりのない人物を呼び出すことは難しい。当たり前ではあるが、本来のイタコの口寄せで呼び出す必要がある人物は、客の親類縁者や友人であったりするはずで、外部の人間が考える「霊媒」とは意味するところが違うのである。

イタコはいつでも恐山にいるわけではない

 80年代以降よく行われた、オカルト否定派やバラエティー番組、雑誌の取材による「有名人や外国人の霊を呼び出せ」という無理難題を押し付けられても怒らずに対応した彼女たちは実に懐が広いと私は思う。

 イタコがホトケオロシを行うのは季節行事や忌日法要、個人の依頼によっていたが、特に青森県内の有力な寺社や霊場の祭日に、複数のイタコが参集して行われる「イタコマチ」という行事もあった。この時に最も多くイタコがやってくるのが下北半島の恐山であり、ここにイタコと恐山は繫がる。イタコとはこのように本来は各地域でそれぞれ暮らしており、いつでも恐山にいるわけではないのだ。