中学1年生でヤンキーになり、北関東で名を轟かせたレディース「魔罹啞(マリア)」の総長を務めた廣瀬伸恵さん(47)。ヤクザと付き合うようになり、覚醒剤に溺れ、売人となって逮捕。出所後に売人に戻るも、妊娠中に指名手配されて逃亡生活の果てに2度目の逮捕となった。

 2度の逮捕と服役を経て、現在は建設会社「大伸ワークサポート」の社長として、刑務所や少年院の出所者を社員として迎え入れ、更生と社会復帰をサポートしている。当時の行為については深く反省し、更生の道を歩んでいるという。

 そうした過去をあえて語るのは、同じような境遇にある人たちに現実を伝え、再犯防止や更生の一助になればとの思いからだ。

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 そんな彼女に、幼少時の様子、ヤンキーとなったきっかけ、父親の車を乗り回していた中学時代などについて、話を聞いた。

廣瀬伸恵さん(47)

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父は鉄工所の会社を経営、姉は優秀な学生

――廣瀬さんはどんな子供だったのでしょう?

廣瀬 生まれも育ちも栃木市の大平町というところで、のびのび育っていたんですけど、今思えば、すんごく頭の悪い子でしたね。ピアノ教室で、何回「かえるのうた」を教わっても弾けやしない。興味がないことには、特に集中できない子で。成績も当然良くなかったし、当然勉強も好きじゃない。

 もちろん小学校には毎日行ってましたし、友達も普通にいましたけど、勉強だけは苦手なタイプでした。

――両親はどんな仕事をされていたんですか。

廣瀬 父は鉄工所を経営していて、仕事一筋で真面目でしたね。お母さんも真面目っちゃ真面目。私と違って、前科前歴があるような人ではないです。

 3つ上に姉もいるんですけど、私とは正反対。勉強が大好きで、部屋にこもってずっと勉強しているような人でした。ピアノもピアニストって呼べるレベルで弾けるし、いろいろと資格も取っちゃうぐらい優秀でしたね。

――教育熱心な両親だったんですか。

廣瀬 全然です。うちの両親は仲が悪くて、ケンカばかりしていましたし。教育にそこまで熱は入ってなかったと思います。お父さんは仕事人間で朝早くて夜遅い。お母さんは毎晩どこかに飲みに行ったりしていて、姉と私だけで過ごすことが多かったですね。

――裕福だったからそれなりの暮らしはしていたわけですよね。

廣瀬 鉄工所がうまくいっていたので、普通のお宅よりちょっとだけ裕福な家庭でした。母は専業主婦で、父が稼いだお金で遊び惚けている感じでしたけど。

 すごいお金持ちではないけど、お金に困ることはなかったんじゃないですかね。家を買った時なんて、お父さんが焼きそばやたこ焼きとかの露店を呼んで、近所の人を招待したりしてました。ランドセルや自転車、洋服もお姉ちゃんのお古をあてがわれるなんてことはなかったですね。